Comments by Dr Marks

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『母子寮前』(小谷野敦)について、多少のコメントとともに

母子寮前

母子寮前

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110117
この本(小説)は読み出したら途中で止められない。途中で邪魔が入ると「くそー」と憤るような小説である。つまり、面白くて中断せずに終りまで一気に読まなければ気のすまない本である。小説は文学であり藝術であるから面白くなくてもいいというのは欺瞞である。もっとも面白いというのは人さまざまである。人が面白い面白いというから読んでみると、実に荒唐無稽な馬鹿話で、具眼の士からすれば呆れ果てるような「面白さ」もある。しかし、本書は、少なくとも人生の実相を感得せんとする者にとっては興味が尽きることなく楽しませる小説であった。

のぶれば、余が小谷野敦の著作について書評のようなものを書いたことは一度もない。そもそもこのブログがコメントできないブログに対するコメントの場として始まったもので、それに関しては猫猫先生こと比較文学小谷野敦への言及も端緒の一つなのだが、改まって一書について書いたことはないのである。また、しばしば言及したものも、比較文学者、評論家、あるいは社会批評家としての仕事に関してであり、小説家としての仕事に関しては黙してきた。理由は至極簡単で、余には小説を云々する資格も能力もないからである。

それでは今なにゆえということになるが、これまた理由は簡単で、冒頭に述べたように、ただ単に面白かったので紹介したかったからである。小谷野の小説は、本書をもってようやく片手を超える作品数になんなんとするが、それぞれに趣向は異なるものの、基調にある私小説としての濃さは、ここに至ってますます深くなった。

もっとも、余は、私小説でなければ小説でないとか、私小説は現実の私生活や履歴が忠実に反映されなければならないなどと面倒なことは言わない。小説がフィクションであるのは、むしろ現実をより現実の姿に見せるためであるのであるから、赤裸々であればいいというわけではない。むしろ、そんなものは悪趣味にすぎない。

ただ、本書のテーマのような重み(母の死)のある小説においては、私小説と銘打って(あるいは、そのように仄めかして)嘘八百は信義にもとるし、そうと知ったときの興醒めはいかばかりか。小谷野自身は、そういうときは「愕然とし・・・髪の毛が逆立つほどの怒りを覚えた」(42)と書いている。この作品の中で田宮虎彦の『絵本』に言及した箇所である。田宮も『絵本』の青年も東京帝国大学生であったのだから、小谷野は母親の「死」も実話かと当初は勘違いしたらしい。

さて、「ネタばれ」などという下品な言葉で(英語の spoiler もそうだが)、作品紹介では筋書を明かしてならないような風潮があるが、そもそも筋書を明かされて潰れる(あるいは潰される)ような作品はもともと大した価値はない。明かされてかえって興味をそそられるのが名作である。だから、簡単に紹介してしまう。

物語は大学の非常勤講師もする文筆業の主人公「私」が母親からの気になる電話を受けるところから始まる。そのときを2006年9月27日としている。母親は肺がんで腫瘍の大きさは3.5センチ。すでに手遅れである。この母親が翌2007年12月1日土曜日の昼近く(11時58分)に亡くなり、更に翌2008年の1月半ばに行われた四十九日の法要の日の一シーンで終わる。

舞台は、主人公「私」の実家であり、母親の住む埼玉県の町(多分、越谷市)と「私」が住み活動する東京が主である。首都圏に詳しい者であれば(余もそうだが)容易に読みながら場面を辿ることができる。小説の中味は母親の病気が中心であり、実家の地元の大学病院、築地の国立がんセンター、再び地元の某病院から、母親終焉の地である東京杉並の救世軍ブース記念病院ホスピスと場面は移るが、その間に、「私」の幼少時と母との思い出、留学、関西、その他の過去が織り成される。

登場人物は、「私」と母親、更に、その母親によって鵺(ヌエ)的存在と命名された父親、地方の国立大学(多分、名古屋大学)を卒業した弟とその家族、ヘアドレッサーの叔母(母親の妹)、新妻A(多分、葵さん)、意地悪同僚W(多分、阪大の渡辺某)、それぞれの病院の主治医や看護婦などだ。ヌエ的なよくわからない存在といえば、救世軍病院のT医師もそうだと思って笑ってしまった。

小谷野は「親戚に・・・有名人も、・・・偉い人なども、一人もいない」とかつて書いた(『日本の有名一族』5)。しかし、彼も彼の唯一の兄弟(弟)も、揃って旧帝大に進学している。彼自身の妻も東大卒だ。これらの環境から更に傑出した人物がこれから出てもおかしくない。その元は、小谷野がしばしば表明するように小学校時代から百科事典を買い与えるような母親の影響ばかりではないだろう。確かに、母親だけではなく、ヌエ的存在の父親も、小谷野の資質には影響を与えているはずだ。

教育を受け学問や芸術で名を成したユダヤ人の多く(もちろん例外も多い)の父親の職業は職人だったことに気づいたことがある。商人、百姓、肉屋、等々ではなく、ギター作りの職人、靴作りの職人、燭台作りの職人、等々である。小谷野の父親は時計職人だ。それもローレックスなどの高級腕時計の修理もした。もちろん、職人の子は優秀などというのは余の生活の一部から導き出したことで大声で言えることではない。(例えば、ガートルード婆さんの祖父が時計職人で、その孫以降は・・・。)

余を含めて、肉親をがんで亡くした者であればとくに、この物語を読み進み終盤に至れば、涙を誘う。暗い話である。しかし、救いは随所にある。余の場合、少し勘違いしていて、小谷野の母親の死は彼の葵さん(作品中ではA)との結婚前と思っていたが、十分に楽しい嫁と姑の時を楽しんでいた。病院から出て最後の外泊となった晩は、「私」とAの新居でAの手料理を「目で食べる」(154)シーンにほっとしたものだ。

余のような坊主(ただし、生臭坊主)は、よく救い救いと言うが、要するに、暗く固まっていないで、どんな苦しいときも諧謔を忘れないということなのだ。だから、救いのない小説は余は嫌いである。この小説には救いがある。嫁との関係だけではない。例のヌエ的存在の父親が小説の最後で、この救いの素晴らしい役どころを演じるのである。これを余は小谷野の単なる小説技術とは思わない。彼の人格から自然に出て来ることでもあろう。これは実際に買って読んでみなければわからないだろう。

もう、余のブログとしてはだいぶ長くなってしまった。この辺りでおしまいにする。なお、本作品の初出は『文學界』2010年9月号だ。『文學界』への小説掲載は小谷野にとって確か三度目だが、文藝春秋から単行本で出る小説というのは初めてだ。そうそう、最後に、作品の題『母子寮前』ね。これだけは「ネタばれ」止めておこう。買って読みな。もしくは最寄の図書館に買わせてね。