Comments by Dr Marks

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時の人だよなあ、ムサ・クサさんよ。リビア飛び出した外務大臣だよ。あばよって。


むしゃくしゃしてしまったのか、この人は政府に健康上の理由(治療目的)で許可を得、隣国チュニジアに車で出国した。だから、そのことはリビア政府としては承知していたが、リビアから英国に特別機で亡命してしまった。亡命と外務大臣辞任の意向は英国政府が公表したので、リビア政府としても多少は驚いたらしい。そして、こういう場合いつも思うんだが、家族はどうしたんだろう。自分だけ逃げたのかな。それとも家族などいないのか。

しかし、このムシャクシャ(ムサ・クサ、Mohammed Moussa Koussa)さんはどのように期待したのかは知れないが、英国政府は亡命は受け入れたもののさまざまの国際法上の嫌疑については免責を明言していない。また、ベンガジの反乱軍仮政府もムシャムシャの野郎は内戦が収まったら裁判にかけちゃると言っているようだ。そのうち大佐殿に暗殺されるかもしれないし、あーあ。

彼は、アラビア語資料などによると1950年トリポリ中流家庭に生まれた。大学生になる頃に大佐殿の無血革命が成功しているので、その熱気の中で青春を過ごしたことになる。その後1978年に、米国のミシガン大学大学院で社会学修士号を得ている。彼が28歳の頃だ。日米語などのウィキペディアでは学士号となっているが間違いだろう。

その後は在欧州のリビア大使館で警備を統括あるいは情報機関員であったという。わずか2年後の1980年には30歳で英国大使に抜擢された。しかし、欧州に滞在する反カダフィ=反体制派リビア人に対する乱暴な行動を理由に好ましからざる人物として国外退去を英国政府に命じられ、一年も経たないうちに事実上在英国リビア大使の職を解かれる。その後は1992−1994年にかけて副外務大臣を務めたが、概ね情報局のトップに留まり2009年からは外務大臣として表舞台に立っていた。

まあ、情報局長の頃からの外交の裏社会と外務大臣になっての表社会でも西欧とのコネクションを活かしリビアの世界への「社会復帰」に尽力したとの見方もあるが、わからんよ。核兵器の放棄などは、カダフィ親子の直接の意向だったんじゃないの。反乱軍の頭領のあのネズミ男もそうだけど、こういうおどおどしたケツの穴の小さそうな人物は、なににつけても、好きにはなれそうもないな。