Comments by Dr Marks

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祭の日に泣かないで―先導唱題師ペイシの息子モットォエルの、もう一つの話

(第1回)

春が来ると嬉しくてたまらない俺たちよりも幸福な者がこの世にいはしない。いるとおっしゃるんなら、いないほうにお望みの金額を賭けてもいい。俺たちというのは先導唱題師ペイシの息子モットゥエルと近所の子牛メニのことだ。なお、子牛にメニと名付けたのは、この俺様だ。

俺たちは、窮屈な冬から抜け出して、春の初めの日に向かって一緒にご挨拶するんだ。太陽の暖かい日差しを感じ、芽生えたばかりの草の新鮮な匂いをかぐ。この俺、先導唱題師ペイシの息子モットゥエルは、酸味のあるパン生地や薬の匂いがする寒くて湿った穴倉から抜け出す。近所の子牛、メニは、冬には隙間から雪が舞い込み夏には雨が叩き込む薄い壁の臭くて汚い小屋が、更に悪臭を放ち始めたところから出してもらえるというわけだ。

神様が造られた自由な世界に抜け出して、俺たち、メニと二人は、それぞれの仕方で限りない喜びを表わし始めるんだ。俺、先導唱題師の息子モットォエルは、頭の上まで両手を伸ばし、口を開け、胸に納まる限りの新鮮で暖かい空気を吸い込む。すると、俺は上に昇っていく気がして、ふわふわした雲がたなびく青空に吸い込まれたようになる。そこでは、鳥が昇ったり降りたりするのも視界から遠のく。

それから、俺の膨れすぎた胸からは、親父がかつてお祭の間シナゴーグで先導した歌よりも麗しい歌があふれ出す。言葉も調子も主題もいい加減ではあるが、滝の音や海のうねりのような、一種の『雅歌』にあるような歌、神を称える賛美の歌だ。俺は歌う「ああ、父よ・・・おお、天の父よ・・・」と。

近所の子牛、メニの奴は、まったく違ったやり方で喜びを表わす。まず、彼の黒く湿った鼻面を泥の中に突っ込み、前足で土を数回小突く。尻尾を上に伸ばし、体を後ろに引いて尻を上げ、モーーーとうるさく鳴く。それが可笑しくて思わず噴出し、俺もモーーーと鳴く真似をした。子牛の奴は明らかにそれが面白いようで、しばらくするとまた同じ調子と同じ格好で全てを繰り返すのだ。

当然ながら、俺もまったく同じ動作を寸分違わず繰り返す。そして全てが何度も繰り返されるのだ。俺が跳び上がり、子牛が跳び上がり、子牛がモーーーと鳴いて、俺がモーーーと声を出す。もしも俺の兄貴が来なければ、これが際限なく続いていたところだった。ところが、兄貴エリフの奴が俺の後ろに回って嫌というほど首根っこを叩きやがった。

「何ということだ。お前のように間もなく九歳にもなろうという者が、子牛とダンスか? 家に入れ、この役立たず。父さんに説教してもらえ。」

馬鹿野郎! 父ちゃんが俺に何か言うもんか。父ちゃんは病気なんだ。秋の大祭以来、シナゴーグで先導唱題することもなくなった。夜中中咳が止まらず、医者が毎日往診していた。医者は大柄でがっしりしており、黒い口ひげで目がいつも笑っている朗らかな男だった。俺にとっての彼の名前は唯一つ、プピックすなわち「へそ」。医者は俺を見るといつも俺のお腹を小突いた。彼は母ちゃんにいつも「イモばかりこの子に食わせんじゃないよ」と言ってみたり、「病人には肉のスープと牛乳だな」と言うだけだった。

母ちゃんは、その医者の言葉を静かに聞いているが、彼が立ち去るとエプロンで顔を隠しながら肩を震わせて嗚咽をこらえていた。次に涙を拭い、兄のエリフを傍らに呼ぶと、二人して小さな声でささやき合った。何を話しているのかわからなかったが、二人は喧嘩しているように見えた。

母ちゃんはエリフをどこかに使いに出そうとするが、兄は行こうとしなかった。彼はこう口答えした。
「そんなところに助けを求めて行くなら死んだほうがましだ。今すぐ死んでやるよ。」
「そんな減らず口叩くなら舌を噛んで死ねばいい。」
母ちゃんは低い声でこう言って、歯を食いしばり、今にも兄をひっぱたく素振りだった。しかし、母ちゃんはすぐに穏やかになり、兄に嘆願した。
「じゃあ、どうすればいいの、お前。お父さんがどれだけ弱っているかわかるでしょう。私たちで何かして上げなければならないのよ。」

すると兄は、横目でガラス戸棚を見やりながら言った。
「何か売っちまえばいいじゃないか。」
母ちゃんは兄の視線を追って、もう一度涙を拭いながらため息をついた。
「何を売るんだい。私の魂でも売るのかい? 何も残っちゃいない。もしかして空の戸棚を売るのかい?」
兄が「そうさ。空の戸棚を売っちゃいけないのか?」と言うと、
母ちゃんは叫びだした「この人殺し! どうしてこんな人殺しが我が子でなければいけないの。」

母ちゃんは湯気を立てて激怒して、張り裂けんばかりに泣き出すが、結局のところ涙を拭って兄を許してしまう。この同じことが、本を売り払ったときも起こったし、父ちゃんの祈祷羽織りの銀でできた襟飾りを売ったときもそうだった。金箔をほどこした杯を売ったときも、母ちゃんの絹のドレスを売ったときも、その他の物のときも、そうだった。一つ一つばらばらに、それぞれが別の買主に引き取られていった。