Comments by Dr Marks

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祭の日に泣かないで(第3回)

先導唱題師ペイシの息子モットォエルの、もう一つの話(原作:ショーレム・アレイヘム)


しかし、こういったタケノコ生活というか次から次に物を売って食いつなぐ生活の中でも、今までの話と比べ物にならないのが、兄のソーファと俺のベッドを売ったことだ。兄エリフのソーファには元々家族みんなで座っていたものだが、婚約してからはそこに一人で寝るようになった。その結果、彼が使っていた小さなベッドがお下がりで俺の物になっていた。

ずいぶん前のことだが、我が家の羽振りがよい頃は、父ちゃんはまだ元気で、肉屋同業者組合の大きなシナゴーグで、先導唱題師として四列もある合唱隊の指揮をしていた。その頃、そのソーファにはバネが付いていた。そのバネを俺はオモチャにしていた。それでいろんな遊びをした。お陰で手をもぎ取られそうになったり、目がえぐり出されそうになったりしたものだ。あるときには、それを首に巻いて遊んでいて、危うく窒息死するところだった。終いには、兄が俺をひっぱたいたうえ、バネを屋根裏部屋に放り込んでしまった。

俺たちのソーファとベッドを買ったのはハンナ婆さんだ。内金を入れるまで、母ちゃんは被いの下を彼女にけっして見せなかった。
「あんたが買うのは目の前にご覧のとおりのものさ。見て別に何かがあるわけじゃないよ。」
しかし、ハンナは商談を終えて母ちゃんに手付金を渡すと早速ソーファとベッドの上に乗り、ベッドの上掛けを引き剥がして丹念に隅々まで調べ上げると、激しい調子で唾を吐いた。母ちゃんは、その唾に憤慨して金を返そうとしたが、兄のエリフが割って入った。
「いったん買ったんだから売買は成立してる。文句は言えないね。」

その晩は、ベッドの上掛けを床に敷いて、兄と俺は大の字になって寝た。たった一枚の毛布を二人で掛けたが、それは兄の毛布は既に売り払っていたからだ。それでも兄が、床に寝るのも悪くはないだろうと言ってくれたので、俺は何となく嬉しかった。兄が就寝の祈りをして寝付くのを待ってから、俺は何度も何度も床の上を転がった。床はとても広々となっていた。主に感謝! まるで野原のよう・・・天国の野原だ。

「これからどうしましょうか。」と、ある朝、痛々しく顔をしかめた母ちゃんが、空になった四方の壁を見回しながら言ったので、兄と俺は母ちゃんの視線を追った。すると、兄は悲しい目をして俺を見つめながら、厳しい調子で言った。
「モットゥエル、外に出てくれないか。俺たちはちょっと話があるんだ。」

片足でスキップしながら、俺は外に出た。当然ながら、俺は近所の子牛のところに直行した。ところが、メニはこの数か月ですっかり立派な牛になり、鼻面は見事な黒で、茶色のいかにも賢そうな目となっていたが、いつも何か食い物を探しており、のどをなでてもらうのが好きなのは変わらない。

「なるほど、お前はまたその牛と遊んでいるのか。どうやら、お前の友達と離れることは無理のようだな。」
そう話しかけてきたのは兄のエリフだった。ただし、今回は怒ってもいないし、ののしりもしなかった。そうして俺の手を取ると、先導唱題師のヒルシベルのところに連れていった。

ヒルシベルのところに着くまでに、兄は俺に、これからお前には豊かな生活が待っていると言った。なによりもまず、俺は腹いっぱい食えるらしい。家にいては物事が悪くなるばかりだとも、兄は言った。俺たちの父親は重病だ。できることなら何でもしてあげなければならない。だから現に今そうしてあげているんだ。兄は上着のボタンをはずすと、チョッキの下を俺に見せた。
「ここに時計をぶら下げていたことを知ってるか。俺の許婚の父親がくれたものだが売ってしまった。もし彼にばれたら、俺は何をされるかわからない。たぶん、世界がひっくり返るほどのことだろうよ。」

「さあ、着いたようだ。」と、優しい声で兄が言った。先導唱題師のヒルシベルは、なかなかの音楽家だった。それは、彼自身が歌えるということではない。父ちゃんの言によれば、彼はいい声を持たないのでかわいそうではあるが、音楽というものの理解は素晴らしかった。十五人の少年合唱団を持っていて、恐ろしいほど厳しい師匠と言われていた。その程度が、彼について、そのときまでの俺の知っている全てだった。

ヒルシベルは俺に、さわりの部分を一つ二つ歌わせてから、俺の頭をポンと小突いて、兄に、悪くないボーイ・ソプラノだと言った。だが兄は、悪くないばかりじゃない、素晴らしい声じゃないかと主張した。エリフは彼と交渉して、金を受け取ると、俺に、しばらくの間ヒルシベルの家に住めと言った。そして、ヒルシベルの言うことをよく聞いて、里心など浮かべてはならないとも。

兄にとって、「ホームシックになるな」と言うのはたやすかろうが、太陽が降り注いで、空はクリスタルのように澄み渡り、冬のドロドロの大地さえ乾ききった夏場に、里心を出すなと言うほうがおかしくはないだろうか。

我が家の前には材木の山があったが、俺たちのものではなく金持ちのヨッシのものだった。彼は住宅を建築するつもりでいたが、どこにも材木を置くところがなかったから、我が家の前に置いていたのだ。幸いなるかな、それほど金持ちのヨッシ様。俺はその材木を持ち出して要塞を築いた。この要塞のお陰で俺は幸福だったし、子牛のメニも嬉しくて、俺たちだけがそこの支配者だった。そんな生活だったのに、里心を出すななんて、おかしいだろう?