Comments by Dr Marks

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 第1章 

アイザック・シンガー原作『チビの靴屋たち』 (もう一つのギンペル物語)


第1章 靴屋と彼らの系図

チビの靴屋の家族はフランポールの町で有名なだけではない。町より僻遠の地、ヨネヴ、クレシェヴ、ビルゴライ、あるいはザモショー辺りでさえ、よく知られていた。この家系の祖に当たるアッバ・シュスターがフランポールに現れたのは、クミエルニツキのポグロムのしばらく後ということだから、十七世紀の終わり頃であろう。

彼は肉屋の小屋の裏にあった樹木のない丘の地所を手に入れ、そこに、ついこの間まで存続していた家を建てた。それはもちろん、申し分のない状態で残っていたというわけではない。石の土台は地面にめり込んでしまっていたし、小さな窓という窓は皆ゆがんでいて、こけら板でふいた屋根は腐って緑色となり、ツバメの巣が垂れ下がっていた。

その上、戸は地中に埋まってしまい、手すりは弓なりになっていて、上がりがまちに乗るのに昇るのではなく降りていかなくてはならなかった。しかしながら家は、昔、フランポールの町を吹き荒れた多くの火事にもかかわらず、生き延びていたのである。

ところが、垂木は腐りキノコが生える始末だし、もし赤子の割礼の際の血止めのおがくずが必要なら、ちょっと壁に指でも突っ込めば、ぼろぼろ出てくる状態だった。屋根は勾配がきつく、煙突掃除夫が煙突の様子を見るために昇るのも無理だったから、煙突からの火花がいつも屋根に引火していた。それでも火事などの災害に見舞われずにすんだのは神のご加護にほかならない。

アッバ・シュスターの名は、フランポールのユダヤ人社会の年代記を記した羊皮紙に記録されている。それによれば、彼は寡婦や孤児のために毎年六足の靴を作って配るのを常としていた。彼はこの慈善活動が認められ、「メレヌ」すなわち「我らが師」という敬称で、シナゴーグでの律法の書の朗読に召し出されていた。

古いほうの墓地にある彼の墓石はなくなってしまったが、靴職人たちは、墓のすぐ近くに生えていたヘーゼルナッツの木が育っている所が墓の印だと知っていた。年配のご婦人方によれば、アッバ氏の髭から木が生えたそうだ。

アッバ氏には五人の息子があり、一人を除いては近郷の町に住み着くことになった。フランポールに留まったのは、ゲッツェルだけである。その息子は、貧者のために靴を作るという父親の慈善事業を継続したほか、葬儀組合の活動にも加わっていた。

年代記は更に、ゲッツェルにはゴデルという息子がおり、ゴデルにはトレイトエルが生まれ、トレイトエルにはギンペルが生まれたと記録している。靴職人の技術は世代から世代へと受け継がれた。家族の中ですぐに一つの原則が確立した。すなわち、長男が家を継ぎ父の仕事場も譲り受けるということであった。

この靴屋たちは互いによく似ていた。みんな背が低く茶色味を帯びた金髪で、穏やかで誠実な職人たちだった。フランポールの人達は、初代のアッバ氏がブロードの町の親方から靴屋の仕事を習ってきたと信じていた。この親方が彼に、革に耐久力を付けて強くする秘法を伝授した。

チビの靴屋たちは、家の地下倉に生の革を浸すかめを保管していた。彼らがどんな不思議な化学物質をこのなめし液に加えていたかは、神のみぞ知る。彼らは、部外者にはその製法を知らせず、父から子へと引き継がれた。

ところで、我々はチビの靴屋たちの全ての世代を扱うつもりはない。最後の三世代に限定するつもりである。チビの靴屋のその後にリッペ氏がいるが、彼は晩年になっても跡継ぎがなかった。おそらく彼をもってシュスター家は終わるものと思われていた。ところが、彼が六十代の後半にさしかかったときに妻が亡くなり、未婚だがいい加減熟女の乳搾り女と再婚すると、この女が六人の子を産んだ。

彼らの長男のフェイベルは、極めて暮らし向きがよかった。彼は、ユダヤ人社会の諸事において主だった役割を担い、重要な寄り合いの全てに顔を出し、靴屋や帽子屋を含めた仕立て業組合のシナゴーグで、数年の間、会堂守の役職にあった。

そのシナゴーグでは、毎年の仮庵の祭の後のシムハット・トーラー(律法感謝祭)に新しい会堂守を選出するのが慣わしだった。そうやって選ばれた男は、頭にカボチャを載せてもらって祝福された。カボチャにはロウソクが灯され、選ばれた幸運な男は家から家へと導かれ、それぞれの場所で一休みすると、ワインとシュトルーデルかハニーケーキを振舞われた。

しかし、フェイベル氏は、律法を喜ぶためのシムハット・トーラーの日に、家々を巡回する、まさにその務めの最中に、たまたま死んでしまった。市場の中で倒れ、生き返ることはなかった。フェイベル氏が著名な慈善家だったので、シムハット・トーラーの司式をしていたラビは、フェイベル氏が頭に担っていたロウソクの灯が今は天国への道筋を照らしていると断言した。

金庫に残された彼の遺書は、墓地に埋葬する際に、金づち、千枚通し、足型を棺に被せる黒い布の上に置くように指示していた。それは、故人が平和な職業人であり、決して顧客を欺くことがなかったという印である。遺言は、その通りに実行された。

フェイベルの長男は、ご先祖の名前をもらってアッバといった。このアッバも血筋に従ってチビでがっちりとしており、顔中黄色い髭で、ラビや靴職人だけがそうであるような、左右が奥まで入り込んだ高く広い額をしていた。目の色も黄色で、彼がかもし出す全体の感じは、むっつりしたニワトリのようであった。

しかしながら、彼は聡明な職人で、祖先たちのように快く施しを行い、フランポールの町で彼ほど約束に忠実な男はいなかった。彼は、自分が確かに果たせるとの確信がない限り決して約束はしないのを常とした。確信がないときはこう言った。「さあどうかな・・・神がお望みなら、たぶん。」

更に、彼は学識のある男だった。毎日、イーディッシュ語訳聖書の一章を読み、時間が許す限りいろいろな小冊子を読みふけっていた。またアッバは、町にやってくる巡回説教者の話は残らず聞きにいったし、冬の間にシナゴーグで読まれる聖書からの物語はことのほか好きであった。

妻のペシャが、イーディッシュ語訳の創世記を、彼のためにシャバトの安息日に読んでくれるときには、彼は自身をノアになぞらえ、息子たちをシェム、ハム、ヤペテだと想像した。さもなくば、自分はアブラハムかイサク、あるいはヤコブのつもりでいた。だから、もしも全能の神が彼の長男ギンペルを生け贄にするように召し出したならば、朝早く起きて遅滞なく神の命令を実行することまでしばしば夢想していたものだ。

確かに、彼はポーランドの地と生家をあとにして、神が彼に示す所ならどんな所もさ迷ったであろう。ヨセフやヨセフの兄弟の話はそらんじていたにもかかわらず、その話を飽きもせず繰り返し読み続けた。古代人が羨ましかった。なぜなら、全世界の王なる神が彼らにご自身を現わし、彼らのために奇蹟を起こしてくださったからだ。

しかし、先祖のアッバから途切れることのない世代が古代の族長たちにまで至ることを思えば気持ちが癒された。まるで、自分も聖書の中の一員のような気になった。彼もヤコブの腰から生まれたのだし、彼も彼の子孫もアブラハムの子で、海の砂や天の星々のように増えてゆく。聖地にいたユダヤ人が罪を犯したので、彼は流浪の民として生きているが、あがないを待ち望み、その時が至るまで備えを怠らなかった。

アッバは、フランポールの靴職人としては、それまでで最良の者であった。彼の作る長靴は、いつも完璧に足に合い、窮屈だったり緩すぎることはなかった。霜焼け、マメ、静脈瘤に悩む人たちは、彼の靴で楽になったと言って、ことのほか彼の仕事を喜んだ。彼は新しいスタイルは軽蔑していた。派手で見掛け倒しの靴や高いヒールのパンプス、更に一度の雨で取れてしまうほど縫いを少なくした靴底のことだ。

彼の顧客は、フランポールで敬われている商人たちか近郷の百姓たちであるが、いずれも最良の物を身に着けるのが当然の立派な人たちだった。彼らの寸法をとるときは、昔風に結び目を付けた紐を使った。フランポールの女たちは自分の髪を隠すため、ほとんどがカツラを被って外出したが、アッバの妻のペシャはボンネットで髪を隠すこともした。彼女が彼のために七人の息子を産むと、彼は先祖たちの名前を踏襲して順に、ギンペル、ゲッツェル、トレイテル、ゴッデル、フェイベル、リッペ、ハナニアと名付けた。

彼らは皆、父親のように背が低く茶色味を帯びた金髪だった。アッバは、彼らを皆いずれは靴職人にすると宣言していたが、この有言実行の男は、息子たちに幼いうちから仕事場見学をさせ、時には「手間をかけたよい仕事の手間に無駄な手間はない」というような古い格言なども教え込んだ。

彼は一日に十六時間仕事場に座って、膝に袋を広げ、千枚通しで穴を開け、針金糸の針で縫い、革をなめしたり磨いたり、あるいはガラスの破片で研磨していたが、仕事中は、大祭の畏敬の日々の賛美歌から、さわりをハミングするのが常だった。通常は猫が傍らによりそい、仕事の流れを見つめていて、まるでその猫がアッバを見守っているようであった。しかし、この猫の母親やそのまた母親の時代は、仕事を眺めているのではなく、チビの靴屋たちのためにネズミを捕まえに出かけていたものだった。

アッバは、丘を下った町の全体を窓から見渡すことができたし、その遥か向こうのビルゴライに続く道の松の森も見えたろう。肉屋の屋台に毎朝群がるお上さん方や、シナゴーグの中庭に出たり入ったりする若者もしくは怠け者の姿も見ていたし、お茶のために井戸に水汲みに来る娘たちや、夕暮れに清めの浴場に急ぐ女たちも目にした。

夕方、日没を迎える頃は、家の中が宵闇の前の薄明かりに包まれる。夕日からの光線が部屋の隅で踊り、天井を横切ってちらちらと瞬き、アッバの髭を金色の糸のように光輝かせてくれる。アッバの妻のペシャは、カーシャがゆとスープを台所で料理していて、子供たちはまだ遊んでいるし、近所のお上さん方や娘たちも家を出たり入ったりしていた。そしてアッバは仕事を切り上げて立ち上がり、手を洗い、長い上着を羽織り、夕方の祈りのために仕立て業組合のシナゴーグへと出かけるのが常だった。

彼は広い世界が、まったく不思議な町々や国々で満ちているのを知っていた。つまり、フランポールの町などは、実際のところ、小さな祈祷書の中の一つの点よりも大きくはないのである。しかしながら、彼にとって、小さなフランポールの町が世界のヘソの位置にあり、彼自身の家は、そのまた中心にあると思えたのである。

しばしば、ユダヤ人たちをイスラエルの地に連れて行くために、メシアが来臨することを夢想するが、その際に彼アッバ氏は、一人フランポールの町に、要するに丘の上の彼自身の家に、居残るつもりであった。そのようにしてから、安息日か大祭の日に、雲に乗り込んで、自分をエルサレムへとおもむろに飛び立たせるつもりでいた。