Comments by Dr Marks

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 第4章

アイザック・シンガー原作『チビの靴屋たち』 (もう一つのギンペル物語)

第4章 フランポールの荒廃

それから、ほぼ四十年が過ぎ去った。オーストリアに併合されているときに、ペシャがコレラで死んでからもだいぶ経った。アッバの息子たちは、アメリカで金持ちになっていた。彼らは毎週手紙を書いて、アメリカに来て一緒に暮らそうと勧めたが、彼はフランポールに留まり、ずんぐりした丘の、あの古い家に住み続けた。

彼自身の墓が、既にペシャの側に用意されていて、それは先祖のチビの靴屋たちの墓地の中にあった。墓石は立派に建っているが、日付だけが空いている。アッバは妻の眠っている脇にベンチをしつらえた。ローシュ・ハシャーナー(新年)の晩やヨーム・キップール(贖罪日)には、そこに出かけて祈り「哀歌」を読んだ。

彼は、墓地のその場所が好きだった。空はあくまでも澄み渡り、街中にいるより高尚な雰囲気があった。聖別された大地から、偉大で意義ある静寂が立ち上がり、古い墓石にはコケが生い茂っていた。彼は、そこに座ることが大好きで、そよ風さえ吹かないのにふるえる高い白樺の木を見上げ、枝の上でバランスを取りながら休んでいる黒い木の実のようなカラスを見た。

ペシャが死ぬ前に、彼女は夫に、再婚はしないように、また子供たちの近況を知らせに墓まで来るように約束させた。彼はその約束を守り続けた。彼は墓に沿ったベンチの上に身を横たえて、まるで彼女が生きていたときのように、彼女の耳元にささやいた。
「ギンペルにまた孫ができたぞ。ゲッツェルの末の娘が婚約したそうだ。神に感謝・・・。」

丘の上の家はほとんど廃墟であった。梁は腐りきっているし、屋根は石の柱で支えなければならなかった。三つある窓の二つは、もはや窓枠にガラスが合っていないので板切れでふさいでいた。床は皆なくなってしまって、足元の地面がむき出しになっていた。

庭の梨の木は枯れてしまっていた。幹も枝も、かさかさの木肌で覆われていた。庭そのものが今や毒イチゴや野ブドウが増えすぎて、子供たちがティシャバーヴの祭に撒き散らすイガイガも豊富にあった。人々が間違いないと言っているのだが、ある晩その庭で火が燃えているのを見たこともあるし、娘たちの髪の毛に飛んでくるコーモリで屋根裏は満杯らしい。

そんなことはなくもないだろう。実際、家の中なのか外なのか近くのどこかでフクロウがホーホーと鳴いているのは確かだ。隣人らは繰り返しアッバに手遅れにならないうちに、この廃屋から引っ越すように忠告した。ほんの少しの風でも潰れかねないのだ。彼らは靴屋も辞めるように進言した。息子たちが溢れるほど送金していたからである。

しかしアッバは、頑固に明け方に起き出して靴作りの仕事台に座り続けた。黄色の髪の毛は結構変わらなかったが、髭はとうに真っ白になって、更にその白は再び汚れて黄色になっていた。眉毛は藪のように長くなり目を覆い、あの広い額は黄色に変色した羊皮紙のようになっている。

それでもなおアッバの手腕は失われていなかった。少し余計に時間は掛かるようになったが、広い踵の頑丈な靴をその頃も作り出せたのである。千枚通しで穴を空け、針で縫い、留め具を打ちつけながら、かすれた声で古い靴職人の歌を歌った。これも、いろは歌だった。人の名前も取った箇所も、うまくイーディッシュ語のアルファベットに対応している。

母さんが雄ヤギを連れて来た
屠殺人が雄ヤギを殺した
おお、主よ、雄ヤギ!
アウレメレが耳を取り
べレレが肺を取り
ギンペレが食道を取り
それからドヴィドルが舌を取って
ヘルシェレが首を取って・・・

彼の歌に唱和する者はもう誰もいないので、コーラスの部分も自分だけで歌った。

おお、主よ、雄ヤギよ!


アッバの友人らが家政婦を雇うように勧めたが、彼は家に他人である女が入り込むことを好まなかった。時たま、近所のある女性が掃き掃除や拭き掃除に現れたが、それさえ彼にとってはやっかいなことだった。一人暮らしをしていたわけだから、一人でそれなりの料理の仕方を学び、小さな鍋でよくスープをこしらえたし、金曜日には安息日のためのお菓子プリンまでも作った。

彼にとって最良の楽しみは、一人でベンチに座りながら心に浮かぶ由なし事を思い巡らすことで、それも年々ますます込み入った内容になっていた。昼も夜も、彼は自分に自分で話し掛けることに勤しんでいた。一つの声が問いかけて、その一つの声が答えるのだ。気の利いた言葉が心に浮かぶ。鋭く、歳の功の知恵に満たされ時宜に適った表現だ。それはまるで、祖先の父祖たちがこの世によみがえって、彼の頭の中で、この世とあの世に関する果てしない論争を取り仕切っているようなものだった。

彼の思いの全ては、一つのテーマに沿っていた。生とは何か、死とは何か。止まることのない時間とは何か。それに・・・アメリカはどれほど遠い所なのか。その際、彼の目は閉じられることがしばしばだった。金づちがポロリと手から落ちる。しかし、それでも靴屋特有のリズミカルな音は絶えなかった。柔らかいタンという音に続いて大きなバンという音がバンバンと二回鳴る。まるで彼の傍らに幽霊が座って見えない靴を直しているようであった。

しばしば隣人の一人が彼のところにやって来て、どうして息子たちのところに行かないのかと聞いた。すると彼は、仕事台の上の山を指差して「何だと、あの靴の山を見ろ、いったい誰が直すのかね」とそのつど言ったものだ。

それからも何年かが過ぎた。すると彼は、あらゆるものが、いつの間にか消えて行くのに気づいたが、どうしてなのか、どこへ行くのか、皆目検討が付かなかった。巡回説教者が、外の世界の嫌なニュースをフランポールに持ち込んだ。アッバが今も列席している仕立て業組合のシナゴーグでは、若い者たちが戦争や反ユダヤ主義、更にパレスチナユダヤ人が集まっていることについて語っていた。

何年もアッバのお客だった百姓たちは、突然に彼を見捨てて、仕事をポーランド人の靴屋に持って行くようになってしまった。更に、ある日、老人は新たな世界戦争が間近いことを知らされた。ヒットラー、ああ、この名前こそ消えてもらいたいが、この男が野蛮人どもの軍隊を立ち上げてポーランドを握りつぶすと脅していた。

このイスラエルの祟りのような男は、かつてスペインがそうしたように、ドイツからユダヤ人を一掃しようとしていた。老人は、救い主メシアを思うと極度に興奮した。見ていろよ。これはエゼキエル三八章のマゴグの地のゴグとの戦いではないか。たぶん、本当にメシアが来て死人をよみがえらせてくれるんだ! 

彼は、墓が開くのを見た気がした。チビの靴屋たちが続々と立ち上がって来るのだ。初代のアッバ、初代のゲッツェル、初代のトレイテル、初代のギンペル、それから自分自身の祖父や父親が出てくるのも見た。彼はみんなを家に招き入れ、ブランデーとケーキでもてなした。妻のペシャは、家の中がみすぼらしくなってしまったことを恥じたが、アッバは上機嫌で彼女に請け負った。
「かまわん、かまわん。誰かに片付けさせるから。ともかく、今は皆が一緒なんだよ。」

すると突然、雲が現れてフランポールの町全体を覆った。シナゴーグ、ベイス・ミドラーシュ(律法研究の家)、清めの浴場、ユダヤ人の全ての家、もちろんその中にアッバの家も入るが、それら全ての町全体を雲が聖地エルサレムに向けて運んで行った。読者よ、アメリカの息子たちがアッバの前に立っているのを見たときの彼の驚きを想像したまえ。息子たちは皆アッバの前にひざまずき、泣きながら叫ぶ。
「父さん、許してくれ!」と。

アッバがこのような光景を見ていると、彼の金づちのテンポが速くなる。彼は、安息日のために絹やサテンに着飾ったチビの靴屋たちを見た。広い縁取りの礼服をひらひらさせて、エルサレムに喜び勇んで向かうのである。ソロモンの神殿で祈り、天国のブドウ酒を飲み、巨大な牛や海獣リヴァイアサンを食うのだ。

敬虔と知恵で有名な古代の靴屋ヨハナンが来て、彼らに挨拶し、律法と靴作りに関する議論にいざなった。安息日が終わると、一族郎党はフランポールに帰ってくる。町はすでにイスラエルの地の一部となっていて、懐かしの、まだしっかりしていたときの家に戻るのだ。

家は、以前と変わらぬ小さな家ではあるが、なぜか驚くほどゆったりと広がって伸びたのは、聖書に書いてあるように、鹿皮の伸びのようであった。皆が一所の作業台で働いた。二人のアッバ、二人のギンペル、二人のゲッツェル、二人のゴデル、それにそれぞれ二人のトレイテルとリッペが、その作業台でシオンの娘たちの黄金のサンダルと息子たちには堂々たる長靴を縫うのである。メシア自身はチビの靴屋たちを呼んで寸法を取らせ、絹のスリッパを作らせた。

ある朝、アッバがそのような妄想にふけっていると、ものすごい破壊音を聞いた。老人は肝を冷やした。メシアのラッパが鳴ったのだ! 彼は作業中の長靴を取り落とし、恍惚となった。しかし、それは預言者エリアがメシアの到来を告げるものではなかった。

ナチの飛行機がフランポールを爆撃しているのだ。町はパニック状態になった。シナゴーグの近くに落下した爆弾は、アッバの脳味噌が頭蓋骨の中で振動していると思えるほど大きな音を立てた。彼の目の前に地獄の光景があった。稲妻のような火炎が上がると、フランポールの町全体を照らして、爆風が通り抜けた。

黒い雲がシナゴーグの敷地を覆った。鳥の群は皆空に飛び上がった。アッバが丘から見下ろすと、果樹園は大きな煙の柱になっていた。リンゴの木は花が咲いたように赤く燃えていた。外で彼の近くにいた幾人かの者は皆、身を大地に伏せて、アッバにもそうするように促した。しかし、アッバに彼らの声は聞こえなかった。ただ彼らの唇が無言劇のように動いていることだけがわかった。

恐怖に震え両膝をガクガクさせながらも、彼は家に戻り、祈祷ショール、経箱、シャツ一枚、靴屋の道具、そしてワラのマットにしまっておいた紙幣を袋に入れて荷造りした。それから杖を取り、玄関のメズーザ(門柱のお守り)にキスをして、外に歩き出した。

彼が死ななかったのは奇蹟だった。外に出たとたんに家が燃え出したからだ。屋根は、蓋でも開けるように反り返って、屋根裏部屋の、例の宝物がむき出しになった。壁という壁も崩れ落ちた。アッバが振り返ると、律法の書や註解書を入れた本棚が炎の中に浮かぶのが見えた。燃えて黒くなった紙片が空を舞い、シナイ山ユダヤ人に与えられた律法の板のように、赤い文字となって燃え上がった。