Comments by Dr Marks

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人付き合いの素人と玄人あるいは士と師の違い


この旧帝大ストラスブール大)にも馬鹿は多いのだろうが、彼らの明日はわからないから
あるいはのほうから説明する。士とはサムライ武士のこと、師とは先生のことだ。もちろん日本語の先生にはいろいろな意味がある・・というか、いろいろな種類の先生がある。まず学校の先生、宗教的指導者、医師、弁護士、国会議員などだが、弁護士や国会議員(代議士)はサムライなので除外したい。

実際、このような人たちは除外せざるをえない。まあ、弁護士などからは不満もあるだろうが、基本的に医師とは違う。弁護士というのは国選弁護人やヴォランティアで正義に奉仕しているだろうとは言われるが、じゃあ不正義の人間に対してはどうするのか。糾弾し責任を追及して終わりであろう。しかし、医師というのはそうはいかない。もっとも医は算術と心得ている医師は論外である。

いったい何の話なのかといぶかっている諸君。いや、思わせぶりですまない。何ね、世の中には「何々の者とは付き合わん」と公言する方々が多い。何しろ余も常々「我が家の家訓は馬鹿とは付き合うなである」などと言っている。その通り。馬鹿と付き合うほどの人生の無駄、人生の負担は他にはない。

しかし、余の場合、それはほとんど(自信がないので「ほとんど」とごまかす)公人や有名人とのことであり、匿名であれ実名であれ、誤解を恐れずに言えば、いわゆる「無名の方々」には使ったことがない。実際のところ、そういう方々が馬鹿かどうかは判断などできはしない。

さて、ようやく玄人と素人の話だが、「馬鹿とは付き合わない」あるいは「何々とは付き合わない」ということは、普通は理のある処世術であり、なかなか実践的であるとも思う。しかし、それは所詮「素人」衆の話だ。例えば馬鹿だが・・・この場合も念のために言っておこう。馬鹿とは知能が劣っているということだけではない。知能がいくら優れていても、人間としての生き方が駄目な者は「馬鹿」である。ほら、大王製紙の前会長のように東大法学部卒でも自分のやってることに見境がつかないようでは、間違いなく馬鹿でしょう。

そのような馬鹿とは付き合うなと余も声を大にして申し上げたい。ただし、諸君が素人衆ならばだ。実はな、玄人はそうはいかないのだよ。付き合うことになった人がいくら馬鹿であっても、あるいはたとえ人非人であっても、玄人は付き合いから逃げてはいけない。いや、逃げられないはずだ。

玄人とは、どういう人種か、もうわかるね。人を人として扱う職業あるいは召命の許に置かれた者は、相手を選んで付き合うというようなことは基本的に許されないのだよ。弁護士は弁護するべきかどうか吟味するが、医師は助けるべきかどうか吟味していられないように。玄人というのは大変なんだ。