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イシァヤ・シュピーグル作、ホネ・イスロエル訳 短編小説『生き残った』全文

ゲットー生活と収容所生活の中で生き延びた作者が、ゲットーにいたときに書き土に埋め、解放後に掘り出して出版したイーディッシュ文学。暗いから、救いがないから、読まなくてもいいよ。
ゲットーはポーランドの中央部にある都会ロッジ(Lodz、ポーランド語の発音ではウッチ)にあったもの。なお、作者の名前を「イシァヤ・シュピーグル」としたが、一般的には英語名アイザイア・スピーゲルのほうで知られている。1906年ポーランドで生まれ1990年にイスラエルで没した。一応、煩瑣にはなるが作者名についての資料を提供する。イーディッシュ原綴  ישעיה שפיגל、イーディッシュ翻字Yeshayah Shpigl、ヘブル名原綴 ישעיהו שפיגל、ヘブル名翻字 Yeshayahu Shpigl、英語表記Isaiah Spiegel。なお、イシァヤとイシァヤフーは同じユダヤ人名の変形であり、日本語聖書ではイザヤと呼ばれているのと同じ名前である。
訳者についての詳細は未公開。英語表記は本人が Hone Isroel としているが、イーディッシュの翻字としては Khone Yisroel が正確かもしれない。訳文は以下のとおり。やはり暗いなぁ。

 六十歳代の男ヘルシュ・レイブは鋳物の鉄のベッドに横たわり、彼の妻ツィッペは部屋中せかせかと苛立ちながら歩き回っている。彼女は生まれつき背が低いのに、近頃は更に縮んでしまったようだ。長引く飢餓のせいで、彼女の緑の目には、青黒いくまどりが鼻の近くまで円を描いている。彼女は鍋をのぞき込みながら、ブラシで何かをこすりだした。時折うなりながら、ヘルシュ・レイブが病気で哀れな姿で横たわるベッドに顔を向け、食いしばった歯の間から息をもらした。
 「これでもいいわ。ここからうまいものなど出やしないけど、ともかく何かがあれば・・・。」と乾いた笑いで、老婦人は両手で鍋から洗ったジャガイモの皮の「ごちそう」を取り出し、細った指でもう一度それを絞りあげる。すえた臭いの一本の黒い泥水の筋が、手にイモリのようにはっていた。埋葬されずに長らく捨て置かれた死体から出る悪臭のような、吐き気をもよおす腐った臭気が部屋にしみこんでいる。
 日中の光は薄れ、夕方になっていた。ゲットーの夜はそんな屋外とも違う。黒い鳥が翼の下に恐ろしい知らせをたずさえてくるように、ゲットーの夜は、木造の屋根の頂に舞い降りて急襲すると、それから窓の外でじっと羽ばたき続けるのだ。太陽が沈むのさえ、あるいは空がしだいに暗く消えていくことさえ気づくことはない。昼が鉄条網の陰に消え入ると、混沌が荒れ狂う夜は、死の天使のマントを着てゲットーに音もなく忍び込む。その後、ゲットーの敷地内の空き地も通りも荒れ果てた建物も、固い漆黒の闇に閉じ込められる。
 夜は、ヘルシュ・レイブが横たわる場所にもすでに腰をすえている。
 暗闇の中で、彼は自分が息を切らしてあえいでいるのを耳にすることができた。
 「ツィッペ、むだだよ・・・役には立たん・・・もうだめだ、何をしても。」
 彼の「何をしても、もうだめだ」に、彼女は答えない。彼の言葉は、防腐処理液が流れるような冷たさのごとく、また白い木綿のシャツが引き裂かれてぼろきれになるような悲しい音色のごとく、彼女を凍てつかせた。
 しばらくの間、ツィッペはコンロの上にジャガイモの皮を入れて鍋をかけていた。こなごなに砕かれた机から集めた乾いた木屑は、ベンジンを吸い込んででもいるかのように燃え上がる。その煙の中に燃え上がっていく木片は、安息日に使う机を壊して燃料にした最後の残りでもあった。付け木にするために粉々に叩き割ったときに、彼女の胸が悲しみでいっぱいになった、その机である。細い彫り模様の入った開き戸がついた小さな棚は、長い間使ってゆがんでいたが、そんなものを彼女がどうやって叩き割れたのか想像もつかない。いくたびも開き戸は、彼らの宝である安息日を照らす燭台を出すために開かれた。今や二つの真鍮の燭台は、彼らがゴミの山と暮らしている部屋の遠い片隅に打ち捨てられ、ツィッペはその安息日用の机の亡き骸で幾ばくかのジャガイモの皮を煮ているのである。過ぎ去った幾日か前なら、机を付け木にする前に、彼女は自身の両腕を切り落とすことになっていたかもしれない。しかし、苦悩に打ちのめされた今日は、そんなことはいささかの問題でもない。二人の子供たちが死ぬ前の彼女からすれば、今は影のような存在でしかないのだ。しかし今は、ツィッペ以外の誰が四つんばいになってはいつくばり、ゲットーのゴミだめの中からヘルシュ・レイブのために幾ばくかの腐ったジャガイモの皮を捜し歩き、ツィッペをおいて他の誰が背に全てのくびきを担えると言えるのだろうか。彼女はしぼんだ黄色の手で、ゴミだめの悪臭の中をかきむしっていた。ツッペと一緒になってゴミを漁っているのは、ゲットーのどこにでもいる太ったカラスどもである。カラスの怒ったような騒々しい泣き声は、ゲットーの通りという通りに満ち満ちていた。奴らは群れて屋根の上に舞い上がり、めったに鉄条網の反対側には着地しなかった。近所の空き地よりもこちらに魅せられたカラスの群れは、まさにユダヤ人ゲットーの悲哀と死の鳥である。
 ツィッペは、ヘルシュ・レイブの体に初めて浮腫を認めたときから、気が気ではなかった。彼の体にできた水のふくらみが何を意味するのか、彼女には分かりすぎるほど分かっていた。子供たちは二人とも心臓の周りにできた浮腫で死んだ。今また同じことが起こっているのが見えるのだ。しかし、ヘルシュ・レイブは、「水が彼を覆い尽くして魂に至る」までは持つかもしれない。ツィッペは、そういうことはよく知っていたが、もはや彼の足はふくれすぎて、すねがどこで終わり、くるぶしがどこから始まるのかわからないようになっているのを見て取った。体が輝くような白さを帯び、まるで皮膚は油を塗ったようである。ふくらみはふらはぎから膝にはい上がり、次にもも、下腹部、更にへそに至れば、そのときには病状の半分は仕上がったことになる。ヘルシュ・レイブの場合は、白色化がかろうじてふくらはぎを越えたところだが、はれぼったく、やわらかく、黄色になっている。もしも、その皮膚を指で押すなら、深い凹みがそのまま残る状態だ。体全体が水っぽく、ぐにゃぐにゃしている。だが、ツィッペが彼のために料理しているジャガイモの皮は、まさに純粋な水のようなものだった。ああ、果たしてどれくらい、こんな栄養で生き続けられるものか。
 ヘルシュ・レイブ自身も、もうのっぴきならない状態であることを悟っていた。
 皆がもう排水路に投げ落とされているのに、自分だけが持ちこたえられるはずがないと思った。実に多くの人が死んだのに、彼だけが生き残れるものか。もう、何もかも終わった。彼は生き、死んだのだ。しかし彼は、ここで死体が扱われているいい加減なやり方には憤りを禁じえなかった。まるで少しでも置きたくないというふうに大急ぎで死体を引っつかむと、裸で浮腫でふくれあがった女や子どもまで一緒にした他の死体が詰まった荷台に投げ入れる。死人たちが、元気な「さあ、行こう!」という掛け声とともに、ゲットーを横切って走る荷車に飛び込むようでもある。死体を包む布もなく、ユダヤ教の葬送の作法もなく、大地に放り投げられる犬と何の違いもない。そういった思いは、実にヘルシュ・レイブを悩ました。そういう無秩序を、彼は受け入れられなかったのだ。彼は、父や祖父がされたような、ユダヤ人が死ぬ仕方で死にたかった。枕元にローソクが灯り、ユダヤ教儀礼があって、体を湯煎してもらい布で包んでもらったり・・・。
 それに、救いはすぐそこに来ているとみんなが言っているのに、どうして今ここで死ななければならないんだ。噂じゃ、ドイツ軍はパニックになって敗走し、ヴィスワ川の向こう岸まで行ったそうだ。もし噂が本当になるのなら、ただ死んでいってしまう人間の意味って何なのだろうか。いや、そんなことがあってたまるか。まさに試練が終わろうとしている時に、魂まであきらめなければならないほどの眼に余る罪をどうやって犯せるというのか。彼の口から祈りが流れた。「おお、神よ、どうか持ちこたえられる力を与えてください。生きながらえようとする不屈さを与えてください。今まさに見えてきた岸辺から追い返さないでください。・・・おお、主よ、今ここで私は大海におぼれていますので、手を伸ばしてあなたにすがろうとしています。・・・私を拒絶しないでください。岸辺まで安らかに導いてください。・・・」
 それからヘルシュ・レイブは、暗闇の中のベッドの上で体を丸くして、やせおとろえながらも水ぶくれの両の手を合わせて胸の上に置くと、ある祈りの言葉を口にした。かつてシナゴーグで、閉じられた聖なる契約の箱の前に立ち、天地を造られた主の前でむせび泣いたときの、あのユダヤ人らしく過ごせた昔日のように祈った。しかし今は、もはや自身の手で胸を締め付けることもできなくなり、聖なる契約の箱の柔らかくすべすべした絹のカーテンだけがあるように思えた。彼の顔はひげに流れ落ちる涙で光っており、頭をカーテンの折りひだの中にうずめた。唇は熱でもあるかのように赤い。新たな力が血管にうねっているようで、涙の祈りが受け入れられたとの確かな感触を持った。まるで、重荷が彼から取り去られ、膨れ上がった心臓は、流れに包まれて喜びと救いの歌を歌っているかのように感じたのだ。つれづれなるままに、白いテーブルクロスのかかった多くのテーブルの間を、彼はそぞろ歩いている。黒いひげ面の大勢のユダヤの男たちが、祈りと喜びで体を揺らしている。白いテーブルには、白鳥の首の形をした、きらめくワイン・デキャンタが飾られている。ユダヤ人たちは喜びで手をたたきながら床の上をあちこち飛び跳ねている。主に愛された者だけが生き残り、ユダヤの苦難の広い大海を泳ぎきったのだ。かくして、彼、ヘルシュ・レイブも確かにその者たちの中にいる。・・・しかし、ツィッペの姿はどこだ。背の高い女性らしい影が一人、絹のドレスを着ていてる。その影は、ツィッペがいつもそうしていたように胸に手を置いて、ユダヤ人の輪の中から抜け出すとヘルシュ・レイブにまっすぐに向かってきた。彼女の目はきらきらして喜びで輝いている。二人は抱き合うと、自然に踊りだした。実際のところ二人は、踊るには年寄りすぎていたが、この日互いに生きて会えたのならば、踊ったところでおかしくはない。とりわけ、今は誰もが踊っているのだから。中庭と言わず、通りと言わず、立ち並ぶ家屋のすべて、すなわちユダヤ人で満ちた町全体が、一つになって踊っているのだ。床は、どしどしと踏みつけるみんなの足の下できしむ。長い上着や伝統のジャケットがひらひらと宙を舞う。ヴァイオリン弾き、太鼓たたき、クラリネット吹きの音楽士たちも遅れはとっていない。フリュートは甘くすすり泣くカナリヤのように聞こえるし、二つのヴァイオリンは、高音でその思いを世界に向かって告げている。「トゥリ・リ・リ、定めの時に、生き残った。定めの時に、定めの時に!・・・トゥリ・リ・リ・・・」
 ツィッペは、料理したジャガイモの皮の切れ端を持ってベッドに近づく。そして彼女は、彼がまだ胸をつかんだままのその両の手をとって起こそうとした。すると彼のその両の手は、乾ききった木の枝のように倒れて垂れ下がった。両の目は、暗闇に向かって開いたままだった。
 今や、燃えるような唇は氷のようになって、おのれに向かって音もなく何かをつぶやいているようだ。ツィッペは驚いて彼の上にかがんだ。
 「生き残った、生き残った。」
 すると、この言葉が、冷え切った風のように彼女の耳に宿った。
 彼女はベッドの上に身を投げ出し叫んだ。
 「うわー、私はどうなるのー、ヘルシュ・レイブ、どうして私を残して行くのよー。」
 叫びは、人間ののどを切り裂く虐殺者のナイフの鋭い切っ先のように、暗闇の中で宙に浮きながら、長い間、部屋に余韻となって残った。

1943年 ウッチ・ゲットーにて(イーディッシュではロッジ・ゲットー)