ラビ様が踊ると云々、さてラビ様が説教すると?
いつも暗いユダヤの歌では気がめいる。たまには彼ら独特のユーモアで。歌としては簡単なものであるから訳詩というよりは歌の説明的に。
なお、言うまでもないだろうがラビはユダヤ教徒の坊主兼裁判官。なーに、裁判官といっても、よろず揉め事収拾屋、すなわち横丁のご隠居のようなもの。敬虔主義者としたのは訳として馴染みはないかもしれない。これはハシディズム運動(ハシデス、敬虔主義)に従う者たち(ハシードの複数形ハシディム)という意味だが、面倒な講釈は止めとく。知りたかったらウィキペディア博士かグーグル教授に聞いてくれ。
訳はいつもの及部泉也さん。骨さんの友達。歌はレオ・フルド(Lazarus 'Leo' Fuld :Rotterdam, October 29, 1912 – Amsterdam, June 10, 1997)。オランダのユダヤ人。
ラビ様が踊ると、敬虔主義者は皆踊る
ラビ様が眠ると、敬虔主義者は皆眠る
ラビ様が歌うと、敬虔主義者は皆歌う
ラビ様が笑うと、敬虔主義者は皆笑う
という具合に宗教に凝り固まると右へならえを皮肉った歌とも取れるが、それほど深い意味もない。ただただ彼らを温かく見守る観があるだけだ。それに楽しい。
さて、実はこのヨウツベにはないのだが、最後に次の句を付け足すことがある。すなわち、
ラビ様が話すと、敬虔主義者は皆黙る
これも二つの意味が考えられる。一つは、ラビ様はいつも皆のためになるお話をなさるから注意して皆が聞くという意味。もう一つは、ラビ様が説教を始めると、皆はつまらなくなって黙ってしまうというものだ。