Comments by Dr Marks

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魔術師(Kishefmakher כּישעף-מאַכער)中編

      I.L. Peretz(I.L. ペレツ)作    及部泉也 訳 @2013 Izumiya Oibe 禁無断転載

 ハイム・ヨナはかつて材木商であった。かつてというのはこういう事情だ。「格安」の森の権利を買うまでは材木商だったが、その森はほどなく政府が木の切り出しを禁止したので、彼は完全に破産してしまったのだ。当座は林業者の事務員に雇われていたが、結局それも首になり、この魔術師が来るまでの数か月は無職の状態に置かれていた。ユダヤ人の最悪の敵である貧乏が、こんな冬を生き抜くことは許されまい! 泣き面に蜂で、そんな冬の後に過ぎ越しの祭が来た。天井から下げるシャンデリアから始まって長イスの最後のクッションに至るまで、家中のなにもかにもがすでに質種になった。「シナゴーグの互助会を頼るしかないよ。お祭用の金子を少し借りてきておくれ」とリヴケ・ベイレが夫に話した。しかしハイム・ヨナは聞く耳を持たず、神に頼る信仰で人に頭を下げるつもりはなかった。
 リヴケ・ベイレはもう一度家の中の隅々までかき回して、とうとう何年も前になくしたと思っていた古い銀のスプーンを探しあてた。それでもその発見は奇跡以外の何物でもなかった。彼女はそのスプーンをハイム・ヨナに渡したが、彼は出かけると商売人に買い取ってもらい、もらったそのわずかな金を互助会に寄付してしまった。妻には貧乏人は過ぎ越しの祭の金が必要なんだよと他人事のような弁解をした。
 そういった最中も時は立ち止まってはくれない。祭の日はすぐそこまで来ていた。ハイム・ヨナは信仰の人だ。彼は言う、「神に備えあり」と。リヴケ・ベイレは、黙って唇をかんでいるほかにどうすればいいというのか? 妻は夫の言うとおりにしていなければならない。しかし、そうするうちに日々はどんどんすぎてゆき、夜になると彼女は寝付くことができず、ハイム・ヨナに嗚咽が聞こえないように、わら布団に顔をうずめて泣くのだった。家の中には過ぎ越しの祭の気配など微塵もなかった! そんな夜よりも昼間のほうがつらかった。夜なら泣いて気を静めることができたが、昼間に近所の者と顔を合わせるときには頬をつねって少し顔色に赤みを出さなければならなかったのである。もっとも、そんなことで近所の者をだますことは無理だった。彼らが何かでリヴケ・ベイレの家に入るたびに見せる憐れみのまなざしは彼女に爪を立ててでもいるかのように感じた。彼らのまなざしは「いつ、あんたのところはマッツォパンを焼くの?」とか「どこにボルシット[ボルシチのこと]用の赤いビーツがあるのかしら?」と聞いているようだった。親しくしている友人は実際「さあ、リヴケ・ベイレ、どうしたのさ? なんでも必要なものは言ってちょうだい。気をつかうことないのよ」と言ってくれた。
 しかしハイム・ヨナは「施し」を受けるのを固辞するものだからリヴケ・ベイレは彼に従わずにはいられなかった。彼女にはほかに選択肢はないから、辞退するための不自然な言い訳をさまざま考え出さなければならなかったが、そのつど顔から火が出るほど恥ずかしかった。彼女の置かれた状況を見かねて、近所の者たちはラビに相談に行った。そう、ラビこそ何かしてあげなければならない!
 ラビの仕事は、人がうらやむようなものではない。ラビは話を聞くとため息を一つ。しばし黙考してから言ったのは、ハイム・ヨナは確かに学があり敬虔なユダヤ教徒であるとか、神への信頼は神への信頼以外の何物でもないとか、それだけだ。
 結局、過ぎ越しの祭のイヴになってしまった。リヴケ・ベイレは祭にともすロウソクさえなかった。
 その晩、ハイム・ヨナはシナゴーグでの祭の祈りを終えて帰宅した。彼の家を除いて、途中のどの家の窓も祭らしく灯がともっている。それは結婚式に出た弔問客のようでもあるし、目明きの中のたった一人の目くらのようでもあった。それでも彼の精神はしぼまない。「もし神が我らに過ぎ越しの祭の食卓をお望みなら、我らはその食卓にあずかるはず!」と彼は考えた。
 「過ぎ越しの祭おめでとう!」彼は家に入るなり、妻に向かって挨拶した。「リヴケ・ベイレ、良き過ぎ越しの祭を君に!」彼はもう一度言った。
 「良き過ぎ越しの祭をあなたにも!」リヴケ・ベイレの涙にくぐもった声が暗い隅から聞こえてきた。
 彼女の目は、暗い中で二つの炭火のように赤くなっていた。ハイム・ヨナは彼女に近づいて言った。「リヴケ・ベイレ、今夜はエジプトから逃げ出した祝いの夜だ、お前も知ってるだろう? 私たちは悲しむことなど許されていないんだよ! それに、何をそんなに悲しむんだい? もし、良き神が過ぎ越しの祭の食事をここですることをお望みでないなら、神様のお望みのようにどこか別のところですればいいではないか。さあ、私たちは誰かの家に呼ばれることにするぞ。誰だって、私たちを追い返すことはあるまい。どの家の戸も今夜は開いたままなんだ。ほら、過ぎ越しの祭の祈祷文(ハガダー)にも書いてあるじゃないか「コイル・ディフフィン・イェイセイ・ヴェイイェイフール」って? まあ、わかりやすい言葉で言えば、「飢えたる者は誰でも招いて食べさせよ」という意味なんだがね。さあ、ショールをはおりなさい。行き当たった最初の親切な家を訪ねてみよう。
 誰でも妻たる者は夫に逆らってはならない。リヴケ・ベイレはのどに詰まったしこりを飲み込むとぼろぼろのショールを身にまとって出かける用意を整えた。しかし、ちょうどそのとき、入り口の戸が開いて誰かが入ってくるなり挨拶した。「過ぎ越しの祭おめでとう!」(続く)