Comments by Dr Marks

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No. 6.

コメントにならないコメント−22 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「後期第二神殿時代のユダヤ教における殉教と復活」前編)


イェルシャライム(エルサレム)、イェリホ(エリコ)などは聞き取れるだろうか、Shuly Nathan(シューリ・ナタン)の「黄金のエルサレム
現存するものこそ少ないにしても、古代社会にあっても言いたいことを書き物にしたい衝動を持つ者は多かった。また、古代の出版販売事情も過小評価してはならない。もちろんグーテンベルクの功績が否定されるわけではないが、それ以前でも文化文明のあるところ、書き物で溢れていたのである。

今、われわれは猫も(小谷野先生のことではもちろんない)杓子も(人のことではない自分のこととして言っている)ブログを開設し、時には人を励ましたり人に有益な情報を流すこともあるだろうが、大方は自分の言いたいことを勝手に垂れ流しているだけであろう。しかし、上記のとおり、今に始まったことではない。それが人間なのだと思って、ブログ馬鹿の他人をけなしたり、ブログ馬鹿である自分を卑下する必要はない

さまざまな文明において文字が発明されて後の、さままざまな書き物の末路、また私たちの分野で言えば、正典としての生き残りや非正典としての悲しき運命については、またいずれ語るときもあろうから今日はここまでとする。ただし、ハーヴァードのケスター(Helmut Koester)博士が1980年の論文で、もろもろの文献について、外典とかアポクリファといった差別的な用語ではなく、単に正典と非正典(canonical and noncanonical)という正典であったか正典でなかったかという事実的な区別の提唱があったことは記しておこう。

こう書けば、また心配になる。この事実的な区別の裏の神学的な闘争は、十分に研究と検討の余地はあるのであって、正典 vs. 非正典という名称変更で文献的価値への探究まで中和してしまってはならない。なにゆえAが正典となり、Bは正典にならなかったかの意味的な視点を失うと、あのアーマンとも言われるイーアマン(Bart D. Ehrman)のような馬鹿野郎聖書学者になる。(いつも言うが、彼に対して「馬鹿野郎」という罵声を引っ込めるつもりはないが、彼の聖書知識と講義技術は本物だ。尊敬もしている。「馬鹿野郎」とは、本家に英語でも書いたのだが、奴さん見てるわけないな。)

さて、本題に入る。またまた、このヴァメーシュじいさんは、何の説明もなく、「第二神殿時代」と言い、かつ「後期」と限定している。そこで、簡単に説明する。簡単にしても、以下のごとくややこしい。ややこしいのが苦手な人は、「後期第二神殿時代」とは、「紀元前4世紀後半から紀元1世紀まで」と頭に入れておくだけで、下の説明は読まなくて結構。

エルサレム神殿は三度造られた。第一神殿は紀元前10世紀のソロモンによるものでソロモンの神殿とも言われるが、ネブカデネザル王のエルサレム入城により崩壊する。第二神殿はバビロン捕囚から帰還したイスラエル人が再建した第二のエルサレム神殿であり紀元前515年頃の完成である。第三神殿はヘロデ大王(在位紀元前37−4)がその第二神殿を補強増築したもので、普通は第三神殿とは言わずヘロデの神殿と言う。これは紀元70年にローマのティトゥスによって破壊され、現存するのは「嘆きの壁」と言われる西側の壁や基礎部分だけとなっている。

したがって、第二神殿時代とは紀元前515年頃からヘロデの神殿修復拡張までのはずであるし、そのように理解する学者も多い。しかるに、英語版WPを見てみるに第二神殿時代(The Second Temple)を紀元前515年頃から紀元70年としている。(日本語版にこの項目なし。)これはヘロデの神殿(Herod’s Temple)をも第二神殿と数えた場合の考え方である。第二神殿時代を前期と後期に分ける場合は、第二神殿時代がギリシア化する時代を言う。アレクサンダー大王パレスチナ征服後、大王の後継者たちに支配された時代であるが、具体的には、プトレマイオス朝からセレウコス朝に移った紀元前312年以降を指す。

第二神殿時代と重なる学術用語にIntertestamental Period(日本語適訳なし、直訳は「間聖書時代」)がある。初め、プロテスタント側の学者が「旧約聖書時代と新約聖書時代の間」という意味で使いだしたが、現在ではこの用語は「旧約聖書」をヘブル語旧約聖書ギリシア旧約聖書も一緒くたにした曖昧な時代区分であるため、ほとんどの学者は、プロテスタント系学者を含め、第二神殿時代を代わりに使うようになった。

なお、前回記事の「ポスト聖書時代」もそうであるが、これらの用語は、時代区分(period, era)であると同時に、それらの時代に生み出された文献(literature)そのものを指す場合にも使われることに留意してほしい。以上のごとく、今回はヴァメーシュの本の新しい章に入るというよりは、この章で扱われる時代と文献の基本説明に終始してしまった。あまり冗談も書かず、文面も固くて申し訳ない。仕事先で空き時間に書いたので余裕がなかったのかもしれないが、私本来の生真面目さがそのまま出てしまったのかもしれない(←自分で言うか!)。