Comments by Dr Marks

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No. 7.

コメントにならないコメント−23 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「後期第二神殿時代のユダヤ教における殉教と復活」後編)


9分以上かかる動画だが、終わりの言葉は「まだ終わりじゃない」。マサダの砦篭城軍の大将となるエレアザル・ベンヤイルが、落城したエルサレムを後にして言う言葉だ。しかし、2年後には本当に終わりになる。それでも神の目からは、「まだ終わりではない」のかもしれないが。

「紀元前168年のことであった。シリアとユダヤに君臨していたセレウコス朝ギリシア主義王アンティオコス4世エピファネスは、エジプトにあって対抗するギリシア主義国家プトレマイオス朝に攻め入った。しかし、彼の企ては、セレウコス朝のかかる侵略主義的構想を絶たんとする元老院が派遣した、ローマ艦隊による干渉のために挫折した。」(p. 29)

とのヴァメーシュの言葉は、ほぼ客観的な記述として歴史家の同意を得ることは難しくない。しかるに下記の記述はどうであろうか。ヴァメーシュじいさんの想像力や健在ならん。

「屈辱のうちにアレクサンドリアからの退却を余儀なくされたアンティオコスは、憤懣やるかたなきを彼に非協力的であったユダヤ人に向けた。かくして、エルサレムの住民を虐殺し町中を略奪すると、アンティオコスは、ユダヤの信仰ごと完全に破壊滅亡させんと決心した。」(同所)

おいおいおい、八つ当たりかよ。その真偽はともかく、現実にエルサレム神殿はゼウスの祭られる聖所と化し(ということはお宮で娼婦と遊べちゃう)、土曜日に休んじゃ駄目(安息日の禁止)、男の子のおちんちんの皮を切っちゃ駄目(割礼禁止)、豚肉食べろ(食物禁忌の禁止)等々あらゆる律法の定めや習慣は禁止された。

この状況下での七人の殉教する息子たちを励ます母親の話は先に書いた。その前には、ご都合主義のユダヤの指導者も多い中、高名な老律法学者であるエレアザルの殉教があった。彼は「じじいになって嘘をつくのはよくない。エレアザルは90歳にもなって異教に転向したのかと言われたのでは若者のためによくない」と言って、さっさと黄泉の国に送ってくれと拷問台に自ら向かった。

エレアザルの場合は、たとえ姑息な手段で死を逃れたとしても、神の手から逃れることはできないという、復活そのものとは異なる信仰からの殉教であったが、殉教七人兄弟の三番目の息子などは、切り取られるこの舌や手も、必ずや神が返してくださるという肉体の復活の信仰が鮮やかであった(第二マカバイ記)。しかし、殉教と復活は、第二神殿時代を通じ、不可分の信仰であったと考えて構わない。そして、これらは、大方の学者が指摘するように、個人の問題というよりは、イスラエル全体(国家と民族)の集合的な問題であった。

エゼキエルの37章においても、イザヤの26章においても、野に打ち捨てられ葬られることもなかった屍は、異国の侵略をこうむったイスラエル全体の姿であり、捕囚から帰還することは喜びの肉体の再生を伴うものであった。後に新約聖書にも影響を残すこととなったホセアの次の預言は、紀元前8世紀のアッシリアの侵略を題材にするものではあるが、国民(くにたみ)が主の許(エルサレム)に帰還することと死からのよみがえりが重なってくる希望の表現となっている。なお、イスラエル人は、自分たちの不信仰がアッシリアの侵攻を招いた、つまり、神がアッシリアの侵攻を、あえて許可したとの理解があることにも注目していただきたい。

さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。
 (ホセア書6章、新共同訳)

ここで「立ち上がる」という表現があるが、「復活」という概念を示す最も基本的かつ古典的な言い回しである。逆に、「アポクリファイザヤ書」のごとく、立ち上がれない民は生きながらの屍である。

ダニエル書の12章は、大天使長ミカエルが終わりのときに立ち、多くの者を塵の中から目覚めさせ、ある者は永遠の命、ある者は永遠の恥と憎悪に定める。ヴァメーシュはクムラン文書などを証拠に紀元前160年頃にダニエル書が完成したと考えているが、今なお紀元前6世紀に完成したとの少数意見もあることを述べておく。私(Dr. Marks)自身は判断できない。

このダニエル書における終わりのとき(Final Event)の善人も悪人もいったん生き返る(復活する)という考えは、総復活(universal resurrection)と言われるもので、何の責任も取らずに死んだ悪人を、のうのうと死んだままにはおかねーぞー、という復讐の成就でもある。悪人が幸福のうちに死んだのに、善人が生き返るだけでは腹の虫が治まらないわけだ。

善人は幸福な生き返りを期待するとして、先に私は、メクラはメクラのままで生き返るのかと冗談を言ったことがある。この疑問は、誰でも容易にいだくものであり、近年においてもさまざまな議論があるが、後期第二神殿時代にも議論はあった。そこで、当時の律法学者は、誰でも死んだときの年恰好で生き返ると答えた記録はある。ただし、片腕の者はいったん片腕で生き返るが、神は不都合な部分については健康な体に修復してくださる。だから、片腕に慣れているから片腕でいいよとでも言わない限り両腕にしてくれるし、よいよいの老いぼれで死んだ者は、多分、何とか生活できる程度には若返らしてくれるのだろうね。

このように、この時代の中心思想は、個人というよりは団体レベルでの復活であり、エルサレムの町が具体的に復旧するように肉体を伴う復活であった。とくにパレスチナに住むイスラエル人にとってはこうであったことが、文献的に確かめられる。ところが、この本土を離れて住むギリシア語を使うディアスポラ(異郷にあるユダヤ人)の中から、プラトン的に肉体は一時のもの魂は永遠のものという思想を持つ者がユダヤの信仰を持つ者の中にも出てくるようになった。「偽フォスィリデス」という文書にこうある。最後の行に注意。

「人は皆等しく屍にすぎないが、神は魂を統べ治める。
ハデス〔ギリシア的地獄〕は、われわれ共通の永遠のふるさとにして父祖の地、
また、貧乏人といわず王侯といわず、すべての人々の共有地である。
われわれ人間は、長い時を生きるのではなく、わずかな時期を生きるに過ぎない。
しかし、私たちの魂は不死であり、永遠に不老の時を生きる」
 (p. 36)

また、ヨセフスの『ユダヤ戦記』では、ローマ軍への降伏ではなく(実際は全滅ではないが)総自害を選択したマサダ篭城軍の大将エレアザル・ベンヤイル(上記の90歳のエレアザルとは別人)が「死は魂に自由を与え、魂本来の浄土に旅立つ願いを聞き届けてくれる」と演説したことになっている。(なお、本書では、この『ユダヤ戦記』からの引用箇所を7.343としているが、7.344の誤りと思う。再版では訂正するよう、面倒だが連絡しておく。)

このようなユダヤ教側での復活概念に関する一部の変容は、ヴァメーシュが示唆するように、現在もなお、キリスト教徒側での復活概念の多様性に反映していると考えることもできるが、歴史的というよりは人間の本性上の復活概念の多様性のように、私 Dr. Marks には思える。さて、ヴァメーシュも、いよいよ論を進めているように、メシア(油注がれし救世主)が「一度死に復活する」という期待は、当時のイスラエル人にどのような形で出てきたものであろうか。われわれの関心の赴くところである。

(以上の引用で、ホセア書の新共同訳以外は、Dr. Marks の個人訳である。)