Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

No. 8.

コメントにならないコメント−24 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「イエス時代の来世に対するユダヤ人の心構え」前編)


Spirit - Forever Young

余り長いと読んでいただけないし、しかも毎日記事にしているので、読むほうも大変だ。今度の章も前編と後編に分けることにした。もっと簡単にまとめてもいいが、この程度の詳しさがなければ、意味はよく伝わらないであろう。

今までは聖書時代の最終期ないしポスト聖書時代の文献に散見する復活の概念を一通り見てきたが、意識してそのような記事を拾い上げてみただけであり、果たして今まで引用してきたような復活観がユダヤの宗教全般に行き渡っていたものであるかどうかについては決定的証拠がない。そもそも、本書が試みているような「復活」を直接的なテーマとして取り扱った当時の文献は今のところ期待できない。

しかし、幸いなことに、フィロン、ヨセフス、死海文書、更に当時のラビたちの文書は、イエスの同世代の証拠として、イエスの、あるいは初期キリスト教徒たちの来世に関する心構え、すなわち復活観に近づくよすがとして利用することができる。まず、エジプトの哲学者にして宗教学者であるアレクサンドリアフィロン(紀元前20/10年頃−紀元40/50年頃)から始めよう。

フィロンは、地中海世界にあって、典型的なこの時代の知識人の代表と言っていい。また、ユダヤの信仰を持つディアスポラユダヤ人としては、まさにギリシア文化の中で活動した Hellenized Jew すなわちギリシア化したユダヤ人の「権化」でもあった。彼は、ギリシア的な不死の理論に組し、魂は生きている人間の中では肉体という「牢獄の囚人」のようであり、死ねば魂は自由を取り戻すと考えた。まさに肉体(ソーマ)は魂の墓場(セーマ)であり、「(墓場の)町を出て、はじめて手かせ足かせのない自由な思考と思弁を得る」ことになる(参考「飲酒論」101、「アレゴリー論」108)。

彼の魂理論から導きうる復活概念は、日常生活にどのように反映するのであろうか。例えば、パウロアテネの町で経験したような話に帰結するであろう(使徒行伝17章)。すなわち、肉体の復活など愚の骨頂である。死んだ人間が復活すること自体馬鹿げているが、選りにもよって、何ゆえせっかく自由にした魂を再び肉体という牢獄に閉じ込めなければならないのか。当時の知識人にとっては、パウロあるいはキリスト教徒の復活の話は、単なる「おしゃべり」にすぎなかったに違いない。

同様に、パレスチナにおけるユダヤ人社会の裕福で教育のある上層部では、ことにサドカイ派といわれる神殿祭司階級においては、死後の人間の運命という憶測を排し、伝統的な律法とヘブライ語聖書の教えに留まった。イェシュア・ベンシラー自身が、多分、祭司ではあったろうが、彼の「集会の書」などは、アポクリファすなわち今で言えばサブカルチャー的文書として扱われたにすぎない。

ヨセフス(紀元37生−少なくとも100年より後に没)は、ユダヤの宗教的・軍事的指導者にして、後に皇帝の友でありローマの文化人かつ歴史家であるが、彼の『自叙伝』(1−12)によると、大祭司階級の出ではあるが、諸々の学派を遍歴した後、19歳のときにストア派哲学にもたとえられるパリサイ派に転向した。空海の『三教指帰(さんごうしいき)』じゃないが、それぞれの特質を略記した中で、「サドカイ派は、(死ねば)魂も体とともに滅びる」(『ユダヤ古代史』18:16)と書いていることは、新約聖書福音書にあるサドカイ派は「復活はない」と主張していたという記述とも合致する。

なおヴァメーシュは、福音書よりも一歩進んでルカが、サドカイ派は復活どころか天使も魂も存在しないと主張していた、と使徒行伝で述べていることについては疑問を呈している。現在の聖書霊感主義ファンダメンタリストほどではないにしろ、文字通りの聖書記述を信じるサドカイ派が、広範囲の記述のある天使を信じていなかったというのは、パレスチナの事情に疎いルカらしい思い込みだったかもしれない。

ところで、ヨセフスがユダヤの高貴な家柄で学識も豊かであったことは、26歳にしてローマへの外交使節団に加わり、ガリラヤ戦役においては、28歳にしてローマの大軍に対するユダヤ反乱軍の司令官であったことからも明らかであろう。しかし、この男、嫌なやっちゃなぁ。一杯書いてくれたお陰で後世の役には立ったが、冷たい男でっせ。理由を言うのさえおぞましい。どうしても理由が知りたい人は、日本語訳もあるはずだから『ユダヤ戦記』(3.387以降)を読んで想像してくれ。彼は爬虫類のイメージだ。爬虫類にも悪いくらいだが。

さて、この爬虫類は、歴史家としては信頼できるかどうかという問題が昔からある。まず、大袈裟な記述が多い。何でも自分が体験し、見てきたようなことを言う。もちろん、全てが信頼できないわけではないが、鵜呑みにできない相手であることも忘れてはならない。前述の通り、彼はエッセネ派にもいたことがあると言う。そして、エッセネ派は魂の永遠な存続を信じ、フィロンのように肉体は牢獄と心得ていたこと、更に生前の行いに応じて良き魂は涼やかな風のそよぐ地に安住し、悪しき魂は永遠の責め苦にあうと記した(『ユダヤ戦記』2:154−157)。

このフィロンにも通じるプラトン的な魂の理解は、確かにエッセネ派にもあった可能性は、当時のギリシア主義的な知識人の傾向を考えれば頷ける節はある。従って、ヨセフスを鼻から疑ってはいけないのだが、エッセネ派とは、果たしてそのような凡庸な集団であったのだろうか。また、知識階級の集団であったのだろうか。ここに極めて対照的な証言がある。

「復活の教理は同様に、彼ら(エッセネ派)の間で、固く守られているものである。というのは、彼らが、魂が既に不死であるように、肉体もよみがえり不死となる、と信仰告白しているからである。魂が既に不死であることについては、彼らは今、次のように言っている。魂は体から離れると、香しき風と光の地に赴く、終わりの日の裁きの時まで憩うために…。」 (『あらゆる異教への反駁』9:27)p. 43

この証言は、教父の一人であるローマのヒッポリトゥス(生年不詳、没年236年頃)のものであり、イエスの死後2世紀ほど経った記述であるほか、明らかに肉体のよみがえりを伴うキリスト教的復活観に溢れている。このようなバイアスのかかった後代の証言よりは、やはりヨセフスの証言を採用するのが妥当であろうか。選択は、次の証言、すなわち死海文書の証言を聞いてからでも遅くはあるまい。次回は、死海文書から検討することにする。請う、ご期待。