Comments by Dr Marks

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No. 29.

コメントにならないコメント−44(ヴァメーシュの『イエスの復活』「新約聖書における復活概念の意味あるいは意義」前編)

爺なのに老婆心からの追加:えーと、下で「高挙(こうきょ)」という神学用語は似ていても「携挙(けいきょ)」とは違う。本家で書いたこともあるが、こちらは rapture のことだ。前記事にある事柄ですから混同しないようにお願いします。

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旧約聖書の聖書時代とポスト聖書時代(以上はユダヤ教のコンテクスト)の死後の世界に関する記述、更に新約聖書の復活全般やイエスの復活についての描写を今までみてきた。ユダヤ教のコンテクストで有り体に言えば、基本的には死後の世界など話題になることは稀であった。人々は神の与えてくれたこの世界という劇場を楽しんだら死後は死者の世界に留まる。それゆえ、この世にあっては神の恵みを堪能しなくてはならない。

それでも聖書時代の終わりごろには、神と共にある平和な生活が永久の恵となることを希求する篤信の義人がそろそろ現れることになる。すなわち、紀元前3世紀から2世紀にかけて、イスラエルの信仰ゆえに殉教する者たちが、永遠の魂を保持し、また肉体の復活を約束されるという希望である。この傾向は、紀元前2世紀のパリサイ派の影響ではあるが、この思想がユダヤ教内部で主要な位置を占めるのは、実は紀元2世紀から3世紀になってようやくのことであった。従って、紀元1世紀のガリラヤで復活の思想がイエスの同時代人の間で広範に行き渡っていたという事実はない。

以下に、二つの神学的話題を取り上げ、その後でイエスの復活に関する聖書の記述についてコメントしたい。しかし、その前に、復活に関して混同してはならない蘇生について申し添えておく。

蘇生(resuscitation)というのは、単なる「奇跡的な」延命であり、究極的な癒し(カリスマ的な治癒)の一つではあろうが、復活とは区別されなければならない。エリヤ、エリシャ、イエス、ペテロ、パウロも聖書中で奇跡的な蘇生を施すが、それらは復活ではなかろう。我らの話題とする復活は、主の再臨や最後の審判を伴う死者のよみがえりであり、イエス自身の復活であるということを認識しておく必要がある。(陰の声:蘇生に関して、役に立つというよりは面白い参考文献として、John Dominic Crossan, The Birth of Christianity, New York: HarperCollins, 1998

原始キリスト教によるイエスの神学理解にとっての復活の意義

大方の受け取り方として、イエスの復活がキリスト論Christology=イエスの神学的性格に関する理論)の中心であるというが、今まで見てきたように、復活はイエスがキリストとして高挙exaltation=復活、昇天、神の右への着座、再臨などの一連の神性顕現過程の一部または全部を「高挙」という)の糸口にすぎない。キリストの究極の栄化glorification=高挙とほぼ同義)は神として座すことであるからだ(使徒行伝2:24、32−34は詩篇110:1の「神の右の座」を引用)。

このことはヨハネ伝でも同じで、受肉incarnation=神がこの世に「肉=caro」を着た人間イエスとして降臨したという意味の神学用語)の神の言葉は一時的な地上での使命を終えれば天の父の許へ帰るのである。初めに墓を訪れたマグダラのマリアに告げた言葉も「あなた方の神である父の身許に行く」(ヨハネ伝20:17)であった。同様に、ヨハネ伝16章28節では明瞭に、キリストは父の許からこの地上に来臨し、再び地上を去って父の許に行くことが述べられている。

父の許に帰ったことは、弟子たちへの聖霊の注ぎとなって現前し、弟子たちはそのイエス・キリストの証し人となることができた。同様の思想はパウロにおいても明らかにされた。復活は、イエスが神の子に昇任する契機であった(ロマ書1:4)。要するに、勝利のキリストという極致は、単なる死者の復活ではなく聖霊の派遣が後続することになるエスの高挙のことであった。

今日はやたらと神学用語が出てきたな。Dr. Marks はしばしば表明しているようにローマ・カトリックのシンパ(念のためだけど、「 新派」じゃなく「支持者」という意味の sympathizer)なのだが、悲しいことに日本のカトリック教会には数えるほどしか行ったことがなく、日本語の『公教要理』も持っていないほどだから、神学用語は知っている限りのプロテスタントのもので誤魔化した

ホント俺って、誤魔化し専門で生きてるんだ。どこでも平気でそう言ってる。それで日本でも、「生意気言うな」って怒られたんだけど、「生で生きててどこが悪い」って口答えしたら、今度は殴られた。イジメ日本反対!

ともかく、二つ目の神学問題からは明日ね。