Comments by Dr Marks

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No. 12.

コメントにならないコメント−27 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「新約聖書における復活と永遠の命−序論」)


100年以上前の Colt Peacemaker(骨董品)の実射

あれって何だったんだろう。大学でもないスタバでもないところ、さる企業内のローターでインターネットに繋いだ。ほとんどのサイトが繋がるのに何と私自身の本家のブログともう一つのサイトにアクセスを拒否された。今日の午後のことだ。本家のブログはもう一つの入り口があるので試したがそれもだめ。ところで、私のIPはしょっちゅう変わる。その企業を出て、別の場所(どちらかというと私のベース、つまりオフィスの一つ)で無線を使わずに繋いだら、繋がるはずなのに繋がらない。リブートして強制的にIPを変えたら繋がった。なお、私はそんな必要はないのでプロクシは使ったことがない。不思議。今度IT助手に聞いてみよう。

ヴァメーシュ自身、今までの行ったり来たりする議論に気がひけたのか、ここで今までのことを次のようにまとめている。

1) ヘブル語聖書期およびポスト聖書期文献を検討した結果、死人がよみがえる復活というアイディアは、ユダヤ人の宗教思想の中では比較的新しいものであった。

2) 死後も人が生を得る唯一の道はこの復活以外にないと考えられるようになった。

3) ヘブル語聖書で、預言者サミュエルの口寄せによる出現のように、死者は死後は墓場から地下世界に下り、そこで義人も悪人も共に住むことになっていたが、新しい思想では、義人はイスラエル草創の父祖と共に、すなわちアブラハムの懐で暮らすが、不信心者は永遠の責め苦の中に住まうというように変わってきた。

4) 更に、終末論的な神の国思想の中では、善人と悪人の振り分けと審判が、個々の死後ではなく、世界全体の究極の時(Final Event)に定められると理解されるようになった。善人の復活は永遠恒久のものであり、エリヤやエリシャが死後まもない青年を一時的に生き返らせたものとは全く異なると考えられた。

5) しかし、この終末論的な復活観の進展も、後期第二神殿期の広大な宗教思想地図の中では、比較的狭い部分を占めるにすぎないことも忘れてはならない。

以上のまとめに示された復活観とキリスト教徒が考えるイエスの復活は、まったく眺望を異にする。イエスは歴史の中で具体的な時と所を得て復活したとみなされたのであり、彼の復活に伴いあるいは関連して、他の人間の復活が期待されることになった。

だが、歴史家でなくとも普通に知性を備えた者にとっては、イエスの復活を主張するキリスト教は、はなはだ当惑せざるをえない思想であり宗教運動である。以下は、ヴァメーシュが今後検討する内容である。

(1) イエスの復活と永遠の命に関する教え、(2) イエス自身の復活の予告と旧約聖書預言者による予言、(3) イエスが死人を生き返らせた福音書中の記事、(4) イエス自身の復活記事の詳細、(5) イエスの復活に関する使徒行伝の解釈、(6) パウロの理解と新約聖書におけるその他の解釈、(7) ユダヤ人とグレコ・ローマン世界でのイエスの復活の意味、(8) ならびに21世紀人である我々にとってのイエスの復活の意義。

これらは、とくに次のような視点ないし問題意識の許に検討されるであろう。新約聖書記事はイエスの埋葬と復活をどのように記述しているか、四福音書それぞれの記事は互いにどのような関係にあるか、福音書の復活記事とイエスによる永遠の命と復活に関する教えはどれだけ呼応しているか、イエス自身が死んで復活すると予告していたとかイエスの復活が旧約聖書預言の成就であるとイエスならびにイエスの弟子が主張していたと判断する根拠は何か。

最後に、四福音書ともに復活の話題は福音書の中で小部分にすぎないのだから、それぞれの記者は復活という大事な話題を、わずかな言葉数でどうやってうまく処理しようとしたのだろうか。因みに、イエスの復活関連の節数は次のとおり。マルコ伝8節、マタイ伝20節、ルカ伝53節、ヨハネ伝56節。古いものほど短く、新しいものほど長いことに注意。

なお、ヴァメーシュは現存のマルコ伝9節以降は後代の追加と見て本書の検討には入れない。これは多数派マルコ伝研究者の意見であり、私(Dr. Marks)も同意見である。現存写本の詳細な議論は拙著 の2章がよくまとまっている(←自画自賛)と思うが、果たして日本に何冊あるか。

日本では再びとんでもないことが起こっているようだな。今日は今までのまとめとこれからの予定ということもあるが、せっかく河童九千坊さんが誉めてくださったのに冗談も出なかった。根絶やしにしなければ駄目だ。拳銃を携帯できない日本は怖いな。LAは登録していればハンドバックとか上着に隠して(concealed carry)ピストルを持つことは合法だが、州によっては、また地域によっては西部劇のようにガンベルトに拳銃を差して歩いても構わない(open carry)。

よく、日本の文化人などが、西部劇の時代のアメリカ人はピストルぶら下げて野蛮だなどと言うが、110番アメリカは911番)で警察が来てくれるような時代ではなかったのに、皆が(女性を含めて)ピストルを下げて歩いていたので、人口比で言えば今よりずっと犯罪の少ない平和な時代だったのだ。Colt Peacemaker という銘柄のピストルがあったが、あれはブラック・ジョークでも何でもない。本当に平和を作ったのだ。

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