沖縄の日曜集会の後のフェニックスの日曜集会:アリゾナ州の新移民法をめぐって(本日の英語のキーワード:「立ちんぼう日雇い」と「人種差別的職質」)
沖縄の集会というのは沖縄の人でなければわからないことかもしれない。わかったつもりの非沖縄人は、わかったつもりなら、それはそれで結構。わかったつもりの非沖縄人でなければ、その人たちの「わかったつもり」などわかりはしないからだ。
かつて日本の各地で屎尿処理場が新しく建設されるたびに、その地元の住民が反対運動を繰り広げた。そりゃそうだ。処理場の煙突から、あるいは下水から、屎尿がそのまま出るのではないと理解していたとて、さまざまなことがヌーサンスだ。しかし、出てけということは、どこかにババをつかませるという利己心ではあるが。
アリゾナの新法は、伝えられるところによると、司法警察官は誰彼なく市民か合法的滞在者かを職質できる。また、従来は「立ちんぼう(corner day laborers)といわれる日雇い」求職活動(建築資材店や決まった通りの角で雇い人から声がかかるのを待つ求職活動:低賃金だが現金日払いで身許も調べられない)中の労働者を排斥することはなかったが、立ちんぼう自体が非合法となる。
もっとも、立ちんぼうの人たちがすべて非合法移民ではないが、私の地元のカリフォルニア州でも多くは非合法移民であり、必要な書類がないために安定した職業につけない人が多い。しかし、市民であっても立ちんぼうは安定職業への足がかりであるように、彼らもその働きが認められてスポンサーがついて合法移民となるケースは少なくない。
アリゾナ州には46万人ほどの非合法移民がいるといわれる。ほとんどは善良な人たちで、アメリカで一旗上げるとまではいかなくても、何とかして出身国よりはよい条件で子供に教育を受けさせ、豊かな生活を享受したいと願っている人たちだ。幸いなことに、アメリカで子供を産めば、子供は自動的にアメリカ人で、フードスタンプ(政府発行の貧困者のための食料購買券)ももらえるし、高校卒業までの学費や給食費も無料になる(カリフォルニア州その他も同様)。
ところが、一部の者たちは、犯罪に走ったり、先日この法の成立を促進させるような、牧場主殺害といった事件を起こしやすいのも彼らだ。そこで、この州法となったわけだが、合衆国憲法上の問題があり、オバマ政権はもとより、共和党を含めた各方面からの懸念が表明されている。
まず第一に、移民法は連邦政府の管轄であり、州法にはなじまない。次に、このアリゾナ新法の運用に当たっては、人種差別という基本的人権にかかわる恐れがある。つまり、司法警察が自由に職質できるといっても、実際は特定の人種に的を絞った職質(racial profiling)となることは明らかであるからだ。まるで、第二次世界大戦中にドイツ系移民、イタリア系移民、とくに日系移民になされた愚挙と同じになるからだ。
今日(西海岸時間25日、日曜日)、アメリカ第5の大都市であり、アリゾナの州都フェニックスで、大規模な集会がもたれた。まず、フェニックス市長は、この悪法と戦うためには、州での裁判はおろか、連邦最高裁までも、自分自身が出て行くと約束した。今度も大統領候補と目されるフェニックスが地元のマケイン共和党上院議員は、賛成反対の明確な態度は表明していないが、高い関心をいだいていることを警察関係のコンファレンスに出席することで示した。
実際のところ、司法警察現場でも反対を表明する人は少なくない。自分たちはracial profilingはしないと明言する。多くの警察関係者が、今回問題となっているラティーノ出身者で、自分のあるいは自分の両親祖父母の過去の状態が、現在の問題とされる不法移民・不法滞在者であったこともあるだろう。しかし、そうでない人も、アメリカの建国の精神に戻れば、たまたま書類を調えることができなかった人たちを追い出したくはない。
いま、「たまたま」といったが、書類を調えることができた人でも「たまたま」なのだ。民族によるが、毎年のくじ引きグリーンカードで来米できる人もいるし、かつてのアムネスティーで簡単にグリーンカードを手に入れた人もいる。さもなければ、秀でた技能があるとか、政治的亡命であるとか、一般の人にとっては、まるで物語のような人生がなければ無理である。
もちろん一番多いのが、アメリカ国内でスポンサー(個人でも団体でも、経済的に外国人を引き受けることを証明できる者)を得て、全ての書類を整え労働ビザを得た者ではあるが、これ自体非常に難しいのだ。学歴とか職業歴とか、さまざまな条件を揃えた上に、アメリカの雇い主を探すのだ。多くのラティーノにとって、そんなことを待っていたら、死ぬまでにチャンスは来ない。
命の危険を犯してまでアメリカによい暮らしを求めて来るラティーノを私は偉いと思っている。その勇気や向上心はあっぱれだ。日射病や飢えや漂流やウエットバッグで走り回っているうちに犬死するかもしれない危険を犯して来るのだ。自分の暮らしがよいことをよいことにして、ババを他人に引かせようとする人たちより、未来の希望に人生を賭ける人のほうが美しい。
http://www.cnn.com/2010/POLITICS/04/25/arizona.immigration.protest/index.html?hpt=T1