Comments by Dr Marks

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No. 13.

イーディッシュ語の標準発音と標準文法

何度も言っているように、そんなものはない。管理する文部省もないし、権威だてる辞書や文法書もないのだ。しかし、これも何度も言っているように、現在イーディッシュ語を大学やコミュニティーセンターで教える際はYIVO(イーヴォ)のテキストや辞書によるのが主流である。YIVO の現在の正式名称はYIVO Institute for Jewish Research だが、1925年設立時の名称の頭字を取った略称 YIVO で知られる。

略したと言われても最後の O の字が難しいので説明しておく。YI は Yidisher の初めの2文字、V は Visnshaftlekher の初めの1文字、OはInstitut なのだが、イーディッシュ文字で書いた際にサイレントのアレフが語頭に立つ(ייִדישער װיסנשאַפֿטלעכער אינסטיטוט)。そして、単語としては無音(サイレント)であるはずなのだが頭文字が並んだ形(ייִוואָ)になると O と発音されるため、YIVO(イーヴォ)となる。変な話だが、これはどこにも説明がない。理由:イーディッシュがわからなければ誰も最後の O に疑問を持たない。また、イーディッシュがわかる者はすぐに想像が付く。

余も結局はこのYIVO(というか、早世してしまったがウリエル・ヴァインライヒ博士)の考えに従うわけだが、実際の文学作品などを読む段にはYIVOだけでは済まない。ところで、イーディッシュ語というのは統一がない言語であるというなら、それではYIVOの立場はどこにあるかということになろう。以下に簡単に説明しておく。

まず、我々の扱っているイーディッシュ語は近現代のものであり、おおむね18−20世紀(既に21世紀ではあるが)と限定しておく。それ以前のイーディッシュ語は特殊あるいは中世イーディッシュ語と理解したほうがいいだろう。さて、その近現代イーディッシュ語は大別4種ある。(1)東北方言(リトアニア方言)リトアニア白ロシア、東北ポーランド、(2)東南方言(ウクライナ方言)ウクライナ、東ガリツィア、ルーマニア、東南ポーランド、(3)中部方言(ポーランド方言)ドイツとポーランドの国境やヴィスツラ川とサン川の流域、(4)西部方言(西欧方言)ドイツ、オーストリアおよび更に西方のヨーロッパ地域。

しかし、これらの区別を持った者たちが二つの大戦を経てアメリカやその他の地域に移動する頃には、おおむね一種の主流が形成されていった。それはどれか一つの方言が主流となったというのでもないから面白い。発音は(1)の東北方言であり、文法は(3)の中部方言を軸に(2)の東南方言が加味されているらしい。余の独断と偏見で言い換えれば、発音はオランダ語的(低地ドイツ語)であり、文法はドイツ語的(高地ドイツ語)である。単語はそれぞれの地の言語(ロシア語など)の混入がみられ、便利な単語はそれなりに流布した。主流になる契機は、単なる数の力ではなく、19世紀中ほどからの有力な学者等の主張なども流れの形成に資することとなった。その点、現在は YIVO の活動がそれであるとも言える。

ウリエル・ヴァインライヒが発音だけだが、(1)東北、(2)東南、(3)中部の同じ単語の発音の違いを書いている。英語の one day に当たるイーディッシュ語はそれぞれ、(1)エイン・トグ(eyn tog)、(2)エイン・ツグ(eyn tug)、(3)アイン・トグ(ayn tog)であるが、標準の綴りは「איין טאָג 」であり、まさに(1)である。なお、イーディッシュ語の「ウ」はドイツ語のように口をすぼめて発音するので、結局は「オ」に近く感じる。

上記の方言名と関連して、リトアニア方言を語る人を、リトヴァックと呼んだり、ガリツィア方言を語る人をガリツィアーネルなどと言ったらしいが、今でもそんなことを判断できる人がいるのだろうか。余はロスアンジェルスの5,000人のイーディッシュ語使いに最近参加した5,001人目の初学者なのでよくわからない。