Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

ヤムニア会議で旧約正典を制定したというのは嘘かもしれない

シマザキさんからまた質問だ。というより、シマザキさんの適切で鋭い視点にびっくりする。シマザキさんはこう書いてきた。

なるほど確かに、正典以外のものを差しているような日本語訳ではおかしいですね。もう一度英訳したら、それこそnon-canonicalの方が近そうです。もっと言ってしまえばexcludingとかなのでしょうか。
だとすると今度は、一体どうしてヤムニア会議(で合っていますか?)の時に正典と見なされなかった経典達が「apocrypha」と言う単語を冠してまとめられたのかが不思議です。

ヤムニア会議でいい。しかし、するどい推察の通り、会議の内容はいささか異なる。ヤムニア(Iamnia=Jamnia=Yamnia)というのは今のヤブネ(Yavne=Jabneh)であるが、テラヴィーヴ(Tel Aviv)の少し南の町だ。しかし、少し内陸部で、今も会議当時と同じと言われるカタコンベがある町だ。綴りがいろいろあるのはI=J=であることと、ヘブル語はv=bのこともあるからだ。

さて、この会議というのはユダヤ教の側の会議であり、彼らは既にキリスト教側をも意識していた。キリスト教の側は旧約聖書(まだ単に聖書といわれていた頃だが)を主にギリシア語訳(七十人訳)で利用するのに対し、ユダヤ教側はヘブル語での正典制定の必要を感じていた。すなわち、70年のエルサレム崩壊後は神殿礼拝が不可能になり、この会議の開かれた90年頃になると祭司階級というよりはパリサイ派が実権を得ていたので(会議の主席者の多くはパリサイ派といわれる)、聖書研究に重きを置くパリサイ派が信仰の基準となる聖書正典の制定を試みたことは想像できる。

ところが、この会議の実態はよくわかっていない。確かにサドカイ派サマリア派はモーセの五書しか正典と認めないのに対しパリサイ派は今日のヘブル語旧約聖書にまで正典の幅を広げたが、ギリシア語で書かれた諸書(現在の旧約アポクリファ)まで排除したのかどうかまでは不明だ。つまり、プロテスタント側の書物ではよく現在のクリスチャンの旧約聖書39巻(「タナク(Tanakh)」の24巻)をヤムニア会議が制定したと書いているが、たぶん、見てきたような嘘であろう。

もっとも、彼らに入れ知恵した嘘つきの張本人はハインリヒ・グレーツ(Heinrich Graetz)というユダヤ歴史学者だ。このことは念のためヤムニア会議をウィキペディアで確認したところ、日本語版には書いていなかったが英語版にはちゃんと書いてあった。乞う参照。なお、このユダヤの小父さんも英語版で Council of Jamniaを引いてからクリックすると出てくる。この小父さんの簡単な説明なら日本語版WPにもある。