已む無く hatena の仲間入り
何が已む無しかは、詳細プロフィール欄にあります。ともかく、このブログはコメント用であって、何かを一次的に表明したり、Dr Marks の日常を記録するためのものではありません。よろしくお願いいたします。最近コメントしたブログは右脇に出ていますが、ブックマークで一言述べたのは「猫猫先生」と言われる人のブログです。(なお、このブログの時間設定は日本時間です。)
Dr Marks 敬白
そこで早速猫猫先生で書き残したことだが、
「何のためなのかこの御仁はよく調べたものだ。/文庫本と新書なるものを一緒くたにしたような記述があるが、本質的には違うのかもしれない。ともかく、Reclam の袖珍本(しょうちんぼん、Taschenbuch)」
に続くのは以下の文だったが、消えてしまったので、思い出しながら再度、
「は、まさに Taschengeld(小銭)で買えるのがよかったが、内容の多くはなかなかのもので、小銭以上の価値があった。それに比べて新書なるものは何であろうか。よいものも確かにあったのだろうが、中味が薄くて(thin 書なんちゃって)、新しいうちは持て囃されても(だから新書?)すぐに鮮度が落ちてしまう。とてもじゃないが、息長く読まれるはずのない代物だった。
中学生並みの内容が多いため、そんな脳味噌の読者にとっては買いやすかっただろう。だから新書は、文庫本とは別の意味で買いやすい(出版社にとっては売りやすい)メディアであったのだろうな。
<メディアはメッセージだ>と言ったのは Marshall McLuhan だが、彼の真髄を知らない者共が新書レベルで囃し立てていた時代がすぎた今、ようやく彼の未刊のケンブリッジでの博士論文が出版されたようだ。文庫本になって残ってほしい一つだ。(←誰が日本語に訳す?俺は知らん。訳したところで今の日本人が読むか?Trivium なんて言われても、土台、何のことかわからんだろう。多分。)