Comments by Dr Marks

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学内に親しむことと誰とでも生きること

自分のブログを書く(あるいは「つける」)ことはおろか他のブログも見なかった。やたらに忙しい状況に放り込まれているからだ。朝、新しい勤務先のメールを開けると30も40も入っていて、まずうんざりする。しかし、長いドライヴやたくさんの授業には多少慣れた。120−130キロの高速でドライヴしていても風光を愛でる余裕はできた。

思えば、この南カリフォルニアほど私の体に合っている気候はないし、自然は美しい。海あり山あり広大な大地が、L.A.旧市街地にある我が家から一歩出れば広がっている。関東平野あるいはそれ以上の広さだが、旧市街地を出たからといって田舎ではない。それぞれのところにビジネス街が散在しているのがL.A.だ。

今朝、いつも訪れるブログでも回ろうかと思ったが、ふとレヴィナスについて授業で語った連想で内田樹のことを思い出し、彼のブログを訪れた。「学院標語と結婚の条件」という見出しが目に付いた。まぁ、お互いにミッション系の学校で教えているからということではなく、久しぶりに納得できる内容だった。だから、今日のエントリーの題はそこからの連想にすぎない。

新しいところで慣れてきたので、それまでは空き時間は自室に籠って準備や採点ばかりだったが、学内をうろつくことにした。この間の聖餐に初めて参加したときは、顔見知りのチャプレンの一人が大喜びしていたし、図書館、売店、その他の施設もうろついた。専任のようなことをしていても専任ではないのでファカルティーミーティングには出ていないものの、多くの先生は既に私を知っていて名前で挨拶してくれる(私は知らないほうが多い)。

待遇も4月から更に上がったのでまあまあだ。私は6月の卒業式に出たら辞めますよと言っているが、私のようなよい先生はなかなか見つからないはずだから(本当だよ)、9月からもいいですよと言ってもいいなと最近思っている。学内に親しみだしたせいかもしれない。本当は家から10マイル以内にある某カトリック系にいる先輩に「いつでも空いてますから非常勤引き受けます」というつもりだったが、しばらく待ってみる。

仙人みたいな生活が好きだから専任は大嫌いなのだが、私も大人になってきているのかもしれない。しかし、誰とでも生きるということは、誰をもきちんと見分けて生きるということで、せいぜい大人になったということにすぎない。だから、見分けて生きるのはときに疲れる。疲れなくなってはじめて仙人だな。・・・しかし、休日の今日も午前に一つ午後に一つの予定がある。ああ、疲れるわ。