Comments by Dr Marks

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ロシア帝国内の単に「居留地」と呼ばれる地域は誰のため:現在のリトアニア、ベラルーシュ、ポーランド、モルドーヴァ、ウクライナにおける永住権

これもTwitterの会話からなのだが、そのときは画家マルク・シャガール(フランス風に変えた名前)と作家ショローム・アレイヘム(ペンネーム)だった。普通、この二人はロシア生まれだとか Russian Jew(ロシア系ユダヤ人)と紹介される。間違いではない。彼ら自身がそのように書くし、当時は確かにロシア帝国の中であったからだ。

ところが現在は、そして当時も厳密には、ロシア本土ではない。日本の一部が日本と言われながら本来の日本本土ではなかったようなものだ。ヨーロッパロシアの一部は(というか大半は)現在独立していて、標題のような国々の名前で呼ばれている。だから、そろそろ教科書など(Wikipediaも)で紹介する場合は、現在の地名(国名)を使うのが妥当ではないかと私は思っている。(もちろん、それを実行している例も少なくない。)

上の二人の例で言えば、マルク・シャガールベラルーシュ出身であり、ショローム・アレイヘムはウクライナの出身だ。二人の共通語はイーディッシュであり、とくに(少なくとも)ショローム・アレイヘムにとっては母語である。実は二人はパリで面識があり、シャガールはアレイヘムの肖像画を残している。

さて、いつも後回しになる標題の質問の答だが、単に旧ロシア帝国内で「居留地」といわれる場合は、ユダヤ人の居留地のことである。これは、ドイツ語やフランス語、その他の外国語に訳された場合でも「居留地」であって、「ユダヤ居留地」とはいわない。

ガメさんが時代物の英語の単語を話題にしていたが、この「居留地」を意味する英語は定訳が存在し、普通は Pale of Settlement というテクニカルタームで表現する。この場合の英語 pale(ペイル)とは色(淡青色)とは関係がなく、ラテン語源から来る「柵囲い」の意味である。同語源から来る似たものに palisade があるが、ロスアンジェルスで「パシフィック・パリセイド」といえば高級住宅地の一つ。サンタモニカ海岸の北にある Pacific Palisade(太平洋の切り立った崖の並び、または海岸線の意)だ。

この「居留地」はアメリカ・インディアンから嫌われた「居留地」に類するようなものではなかった。祝福された「居留地」とユダヤ人たち自身が表現したように、初めて合法的に安心して住めることが保証された地域なのだ。ただし、多くの大都市では、その都市の中でも更に居住区が定められたり、居住が禁止された場合がある。だから、多くは農村地域のシュテットル(イーディッシュで小さな町または村の意)において、農業や手工業に従事した。しかし、ポーランドでは自由度が高く、この「居留地」の40%のユダヤ人がポーランドに暮らすこととなった。

この居留地を定めたのは、あの有名な啓蒙家で自由恋愛主義のエカテリーナ2世である。1791年12月23日のクリスマス・プレゼントかハナカー・プレゼントのようなものだった。彼女自身は現在のポーランド生まれで、ロシア語を習うまでは母語がドイツ語であり、またフランス語も生活の言葉だった。

もちろん、ロシア帝国領内「居留地」だけがユダヤ人の住めるヨーロッパではなかった。フランスはいち早く同じ年1791年の9月28日にユダヤ人の政治的平等を認めている。むしろ、これもエカテリーナ2世が「居留地」容認に踏み切る契機であったろう。フランスだけではなく、ドイツ・オーストリアにおいても比較的裕福なユダヤ人は多かった。19世紀のハンガリーでは、クリスチャンよりもユダヤ人の生活レベルが(平均すれば)はるかに高かった。

ルーマニア出身のメリーHが、ハンガリー「貴族」のユダヤ人の旦那さまと本来なら結婚などできなかったとか、ポーランド系であるガートルードおばさんは、盛んにドイツ系ユダヤ人が威張るから嫌いだというのには、以上のようなユダヤ人階層化の歴史がある。