Comments by Dr Marks

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エフタの悲劇の娘について:一人で聖書を読んだりウィキペディアだけではわからないことなど少し

昨日のブログでモアブの王がイスラエル連合軍の包囲の中で戦勝祈願に己の息子を「燔祭」(はんさい、burnt offering焼き尽くす捧げ物、holocaustホロコースト)にしたという悲惨な話(列王記下3:27)をしたら、Twitterでエフタの娘もかわいそうだよ、と言ってきた人がいた。確かにエフタは娘を燔祭にした(士師記11章)。モアブの王は異教の民であるが、エフタはヤハウェの民イスラエルの士師(judge裁き人、最高指導者)であった。

それなのになぜそのような非道が行われたかというのには長い論争の歴史がある。何語であってもウィキペディア程度ではよくわからないと思われるので、簡単にだがメモしておこうと思う。もっとも現在でもときおり論文が出ているようなテーマだから、本格的な議論というより教会の説教者にだまされない(だましません、だますのはハカセじゃ)程度のほんのおさわりとしよう。(ハカセは「おさわり」しません、念のため。)

さて、普通はエフタの娘の燔祭とアブラハムの息子(イサク)の燔祭(創世記22章)が対比されるが、その前に古代の文学作品から類似のものを探してみよう。アイスキュロスの『アガメムノン』ではミケーネの王アガメムノンが娘イフィゲネイアをいけにえとする。娘の母(王の妻)はアガメムノンに対して激しい憎悪を燃やす。なお、エフタの物語においては、娘の母である妻の姿は見えない。娘の名前もない。(他には、クレタの王イドメネウスがポセイドンに息子を差し出す話があるが、ギリシア神話というよりは士師記のエフタの娘に触発された後世の改作。)

エフタの娘を助けようとする者がいなかったことも残念なことである。エフタは軽率な誓いをしてしまったわけだが、同じように軽率な誓いをした点ではイスラエルの初代王サウルがしたものがある。王の誓いに反して蜂蜜を舐めた王の息子ヨナタンの危機という話だが、この場合は側近がサウル王を諌めて事なきを得た(サムエル記上14章)。

軽率な誓いということではヨシュア記のカレブもそうだが、この場合は実害はない(ヨシュア記15:16)。そもそも誓いなどは簡単にするものではない(マタイ伝5:34、コヘレトの言葉5:4〔伝道の書5:5〕)。余などは誓いも約束もしないというのが信条じゃ。第一、エフタの誓いは約束された戦勝に対する不信仰の印ではないか。しかも神との取引としてわが子を差し出す人身御供は犯罪である(レビ記18:21)。

エフタは軽率を超えて馬鹿。家の中から出てくるのは自分の妻や子、その他の親類や使用人である。動物は家に入れないので可能性の高いのは身内の人間であることは元々はっきりしている。しかし、アウグスティヌスは晩年の著作『旧約七書の諸問題』でエフタは自分の妻が最初に出てくると予想していたのではないかと書いている(同書7.49.6)。なお、七書とは、創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記ヨシュア記、士師記のこと。

(ついでながら、ネットで見ても複数の学者が『神の国』に妻の話があるとしているが、妻の話は『神の国』にはない。エフタが確かに第1巻21章に出てくる。しかし、妻の話は『旧約七書の諸問題』の士師記に出てくるだけである。どうも変なので今書斎にある英訳で調べてみたから間違いない。ハカセを信じなさい。)

初めにイサクの燔祭(テクニカルタームではこれを「アケダート・イツァーク(עקידת יצחק)」または単にアケダー=Akedah)と書いたから、これとエフタの娘のケースと比較してみよう。(1)イサクは助かり娘は文字通りなら死ぬ、(2)イサクは神が命じたのであり娘はエフタが勝手に誓った、(3)やさしいアブラハムは「主の山には備えあり」とイサクを怖がらせることはなかったが自分勝手なエフタは娘が一番に出てきたことをぼやく、(4)アブラハムの子孫は栄えるがエフタには子孫の記述がない。その他にも細かな違いはあるが、主なものは以上の4点だろう。

ところで「娘は文字通りなら死ぬ」と書いたが、死んではいないという解釈もある。例えば死の代わりに生涯処女として過ごしたという解釈だ。キリスト教会にもあるが、ユダヤ教の世界でも中世になって修道院や修道女がめずらしくなくなると、あるいはルネッサンス人道主義が盛んになると、そのように解釈するラビも現れた。その解釈には極めて技巧的な言語の解釈があるので省略する。

しかし、現在のキリスト教会の主流も、古代からのユダヤ教側の解釈も娘は現実に殺されたと解釈し、エフタに批判的である。既に述べたように、人身御供は律法違反であるし、律法違反の誓いは、誓い自体が無効であるとミドラーシュその他で述べている。エフタは士師記11章直前の偶像崇拝の影響を受けていたとか、あるいは12章7節の葬られたギレアドの町の「町」が複数形であることから、遺体は切り裂かれて分納分葬されたと言われる。外交上の切れ者ではあるが、当然ながらあまり評価はよろしくない。