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マクミランとは俺のことかと歴史家マクムーレン言い:キリスト教の先祖礼拝(祖先崇拝)を語りたい人

驚いた。日本語ウィキペディアやその他の紹介でエール大学名誉教授の古代史家ラムズィー・マクムーレン(Ramsay MacMullen)のことをマクミランと書いているのだ。マクミランというのならマクミラン家のMacmillan だと思ってしまうではないか。片仮名だから他にも可能性はあるよ。実際の発音に近づけてメクムーリンとかさ。しかし、マクミランは、ないない。

えーと、そんな話じゃないんだ。昨日、学会誌 Journal of Biblical Literature (129:3)が届いた。今回は目次が表紙だけでは足りなくて本文にまで続くほどたくさんの論文があった。しかし、どういうわけか(誰かに脅迫されてか)学会発表の予稿のようなものが多い。どうりで表紙で足りないほど論文を詰め込んだわけだ。

そんなわけで見落として本棚にポイするところだったが、マクムーレン先生の記事があるではないか、最後の最後に。題して、Christian Ancestor Worship in Rome。これは興味を引くよ。「ローマのキリスト教徒による先祖礼拝」だもの。ユダヤキリスト教においても、先祖や故人を大事に思う気持ちは一般と変わらないが、崇拝(worship)することはないというのが通説だ。

ところが、マクムーレン教授は先祖崇拝があったと考えている人だ。今回の記事(論文)は、昨年ヴァチカンに招かれて講演したもののまとめである。しかし、全編歯切れ悪く書き進めているので面白くはない。もっとも余の歴史範囲は1世紀のパレスチナであるから、4世紀のローマを専門とする教授とは興味が合わない。しかし、専門ではないからこそ、クソ面白くなくても多少でも学びをしようとする真面目な余であった。

どうして歯切れが悪いかといえば、もちろん、キリスト教徒が先祖崇拝していたなどと大それたことを、言っちゃならないような人の前で言うからだ。かまへん、かまへん。過去の集団を扱う者は誰でも、彼らがどこで、どんなことをしていたのか、どのくらいの人数だったのか、等々は、センセのようなホンマもんの歴史家でなくても同様な興味がありますねん。

資料(史料)の中心は、リヒャルト・クラウトハイマー(1897−1994)というドイツの長生きした先生およびその弟子たちの研究で Corpus basilicarum christianarum Romae: The Early Christian Basilicas of Rome (1937-77) という40年かかって5巻本で出たものがあるそうだ。(余は知らん。)この研究によると、クラウトハイマー先生も驚くほど312年以前は礼拝所の収容人数は少なかったそうだ(当たり前ではあるが)。なお、マクムーレン教授はクラウトハイマー先生を懐かしがっているな。どのような関係だったかは知らないが、面識があったのだろう。

今、礼拝所と言ったが、どちらかといえば当時は墓所である。墓所といっても屋外の墓地ではなく、室内の地下や壁に遺体を置いた。カタコーム(地下礼拝所)もこのスタイルになる。対象としたのはサン・ジョヴァンニ、サン・ロレンツォ、などのほか街道沿いの墓所だが、今ではそれぞれが立派なバシリカ聖堂となっている。もちろん、サン・ピエトロもね。

マクムーレン教授によると、てか、他人の文献を引用しているのだが、典型的な室内墓所は教職者用を含めて座席はなく説教壇もない。地下に(つまり床下に)埋葬した後、例えば、3日目13日目更に故人の誕生日や命日に墓所に集まり飲み食いする。故人の埋まった床の上に飲食物を供え、車座あるいは寝台を並べて飲み食いしながら過ごす。夜を徹して行うこともある。死者で床下が一杯になれば、壁に埋葬する。(日本ではどうか知らないが、欧米では地下に棺を入れる方法と壁に入れる方法があり、同じ墓地に両方ある。)

このような故人との共食は、故人を崇拝する地中海地方でも(というより世界的にも)一般的だった祖先崇拝の習慣と結びついたと言えるらしい。ただし、祖先崇拝は使徒や聖人や殉教者を崇拝することと合わせ行われた。312年以降は、コンスタンチヌスがやたらにキリスト教徒に金を与えてさまざまな施設を建てまししたが、信者そのものが多くなると建築物の中に埋葬される者は一部の有力者となり、他は建物の外の墓地への埋葬となっていく。

むしろ、このような祖先崇拝は4世紀までの慣行で、次第に教会はキリスト教徒の祖先崇拝を戒めるようになる。しかし、マクムーレン教授は、この墓所における「ピクニック」(教授の言葉)が祖先崇拝であったかどうかについては、もちろん多くの反対意見があることを文献を挙げて示している。つまり、この同一の事象の解釈の問題だ。

この短い記事(論文)だけから読者が判断するのは難しいが、マクムーレン教授には多くの著作があるので、そちらを読んで判断するしかないだろう。彼の名前をアマゾンで検索するとたくさん出てくるはずだ。なお、サン・ピエトロ(ヴァチカン)地下のネクロポリス(死者の町)と使徒パウロの墓(とみなされるもの)についてはよいサイトがあるので紹介する(文献も図版も多いhttp://saintpetersbasilica.org/)。そういえば、この本は1万5千円くらいだな(http://amzn.to/9SDjS2)。