Comments by Dr Marks

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ある人物の履歴:紀元1世紀に生きた実在の人物ながら、ほとんどトンデモ年表ではあるが、歴史小説を書いてもつじつまくらいは合うだろう

誕生:紀元22年、エルサレムにてユダヤ人の母と同じくユダヤ人の父の子として生まれる。両親の商売は、ローマ人(ローマ兵)を相手とする宿屋または飲食店。ほどなく父親は死亡。母が商売を切り盛りする。(父親がローマ兵であった可能性もある。)

生まれたときから現地語であるアラム語、共通語(リンガ・フランカ)であるギリシア語に、生家の商売言語であるラテン語に親しむ。ユダヤ教徒の母親の希望でヘブル語の読み書きの素養もある。

8歳:紀元30年の春、ナザレのイエスの処刑を母親とともに遠方より傍観する。

13歳:紀元35年、エルサレムでのステパノの殉教を目撃。

16歳:紀元38年、ペテロらに会いに来たパウロを見て驚く。ステパノ殉教の際にユダヤ教徒側に立っていたサウルだった。

18歳:紀元40年、父とも慕うペテロが伝道の旅に出るのを見送る。母の仕事を手伝うとともに、エルサレム教会の仕事にも従事する。

24歳:紀元46年、母の許しを得、パウロと伝道に出立するが、突然にエルサレムに帰郷してしまう。パウロ怒る。

28歳:紀元50年、パウロが伝道への同行を拒否したので、年上のいとこと共にキプロス方面に向かう。

30歳:紀元52年、ローマに至り、父とも慕うペテロと再会し、彼の許で働く。ラテン語もできるので大いにペテロの役に立つ。

36歳:紀元58年、ようやくローマに至ったパウロとも再会する。成長した姿にパウロも喜ぶ。パウロの助けともなる。

42歳:紀元64年、ローマに大火。ネロはキリスト教徒のせいとした。

45歳:紀元67年、ペテロ刑死。刑死の前後にペテロから聞いたことをギリシア語でまとめる。

46歳:紀元68年、続いてパウロ刑死。後にネロ失脚・自害。

48歳:紀元70年、帰郷していたエルサレムが崩壊する前に脱出。エジプトに向かう。

50歳:紀元72年、アレクサンドリア教会の重要人物となる。

65歳:紀元87年、アレクサンドリアで司教として没する。起草後20年のペテロからの聞き書きは四方に流布し、更に他の人物が増補した類書も出回り始めていた。

誰の話かわかったね。ユダヤ人の名前とローマ人の名前を持った人物さ。おおっと、学問的な裏付けを試みることは可能だが、決定打はないね。だから、ほら、歴史小説なら許される。