『史的イエス研究ハンドブック』(全4巻)と「イエスの話した言語」(承前)
この本については2回前の記事に紹介しているし、イエスの言語については何度か書いた。その続きと思ってほしい。ハンドブックは、いわゆる辞書的・教科書的なハンドブック、例えばゲルト・タイセンの下記のようなものではない。 Handbook for the Study of the Historical Jesus
そのこととは別に、本書を初心者には薦められない。いや、本が高いから、というのは冗談で、一応上記のタイセンの本でも読んだあとならばよいが、いきなり深みの議論ばかりの論文であるから老婆心までに言うのである。まあ、それが好きなら止めはしない。
編者のポーターはベテランの域に達しているが、ホルメンはここ十年ほどの新進の学者で、たぶん実務はこの人が進めたのだと思う。自分たち以外の論文は(生きてはいるが)もはや骨董的な学者や超大物ばかりで他の新進の学者は皆無である。ちなみに余の師匠は3編寄稿しているが、既にどこかで発表したものだよ。
4冊のうちほぼ半分は方法論の議論と言っていい。認識、史学、解釈学、聖書学、考古学、等々いずれにわたっても方法論が20世紀末の史的イエス研究の本流であったことを思えば当然であるかもしれない。余自身、そのような潮流の中で神学研究の世界に飛び込んだのである。
もちろん、個別のテーマの知見もこのハンドブックにはある。例えば、編者であるポーターはイエスの使った言語について書いている。理由はいろいろと異なるものもあるが、余がいままでにこのブログで書いたと同じ結論だ。イエスはアラム語とギリシア語を理解し使うこともできた。ギリシア語で会話するだけではなく、説教もできたであろう。また、ヘブル語は聖書本文を読み、それに関して議論できるだけの理解力はあったであろう。しかし、ラテン語に関しては強い証拠が得られない。