Comments by Dr Marks

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学会における神学論争の終焉(ハカセのつぶやきに触発されて)

本当に「神学」に関する論争が学会においては終わったかどうか疑わしくもあるのだが、実際のところ表向きは学会が神学論争の場とはなっていない。例えば、エホバの証人ものみの塔)の聖書解釈が学問的に正しいかどうかなどは学会の議論とはなりえない。もちろん、正しい正しくないというような基準でなければ、彼らの聖書解釈を研究の対象とすることはできる。

学会における神学の話題は、極論するところ神学史上の「神学」以外はありえないのだ。もし神学史以外に神学が出てくるとすれば、実践神学部門での知見あるいは新提案に対して象徴的命名の中に登場するだけであろう。その際は、従来の戦闘的な神学論争(分派論争)の神学でないことはおわかりだろう。

「終焉」という限りは、かつてはあったのかということになるが、確かにあった。むしろ余が所属する世界最大のSBL(Society of Biblical Literature)などは例外的であったかもしれない。この学会は1880年にニューヨークで8人の聖書解釈学者が発起人となったときから、神学論争などは念頭になかった。現在は世界の聖書学者8500人が集っている。日本からは日本にいる外国人を含めて45人くらいが会員だろう。

わが師の一人は現在も4500人を擁するSBLとは別な大きな学会を1980年代の初めに追い出された。神学論争が火種であった。この学会は、SBLが現実的には博士を会員とするのに対し(博士候補は学生会員)、修士以上の教会従事者が参加できるという違いはあったが、立派な(学問的な)機関誌を持つれっきとした学会である。当時を知る人の証言によれば、彼を支持する会員のほうが多かった(支持とは彼の神学の内容ではなく学会に留まることへの支持)が、学会の有力者が強硬に学会憲章を盾に取って追い出してしまった。

実は彼はその学会に2000年代に入ってからゲストとして招かれ講演している。一種の和解だった。この学会の神学の内容に立ち入った学会憲章はいまだに変わっていないが、人々の意識が変わってきたのだろう。神学論争などというのは学者のすることではない。ただ、明確な方向付けがある組織(教会、教団、教派)にとっては必要であったし、これからも必要なことはわかる。しかし、誰であれ神学論争など、本当は何の実りもない。そのようなものを好むというのは、信仰をゲームにしているようにしか思えない。