Comments by Dr Marks

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小谷野博士はホントの博士

<男の恋>の文学史:日本文学における男性恋愛心理の比較文学研究
東京大学 1997年 博士(学術) 博総合第120号

主査の川本皓嗣ほか副査が4人計5人。全員が東京大学教授もしくは助教授(当時)。このあたりがね、東京大学の博士号が胡散臭いといわれる所以。5人なんていらない。3人で十分。だって、1人でも不合格と唱えたら、主査(指導教官)がその判定を翻すことはできず、そのまま落第だもの、普通の国じゃ。5人もいたって、あーた、External(外部査読者)がゼロじゃん。厳しいところなら、内容に応じて反対意見者を1人くらい入れるのよ、先進国じゃ。もちろん、ある程度のレベルの出来であれば、反対だから不合格なんてやっちゃ後で学界の物笑いになるから、立派な出来なら心配することはない。たまたまアホの審査員に当たったら、忌避する権利もある。

それはともかく、著者自身の書いた、長いシノプシスを読んだ。本文を読んでいなくてもわかる。この内容なら、立派な視点であるし、資料的にも価値のある論文に違いない。東京大学の一部の博士論文は胡散臭いが、彼のものは本物であること(世界のレベルで十分博士に値するという意味)がほぼ間違いない。今度日本に行ったら読んでみたい。ここでも入手できるのだが、専門でもないのでそれはよしとく。(だけどこの内容の一部を小出しにして、「新書」を増産したのか?まあ、いいけど。)余談だが、例の枡添要一先生が、短い雑誌論文は書けても長い本(ごみみたいな新書のことじゃないよ)は書けないということを漏らしていたことがある。博士論文を書いた人と書かない(書けない)人の差は確かにある。

また、大学院教育後進国東大のことで悪いが(もう一度言う、猫猫先生の責任ではない、彼はこんなところでも立派に勉強したのはわかる)、著者シノプシスの後にある授与理由の文がふるっている。前段の論文内容紹介(要約文)では、まるで小谷野先生の要約のまる写しではないか。もうちょっと、真面目に審査員らしく自分なりの要約をせい。まさか、読んでないんじゃないだろうな。(Dr. Marks も自著を書評されたとき、Dr. Marks 自身が書いた要約を使われて苦笑したことがある。まあ、誉められているので文句は言えないが、ちゃんと読んでくれたのかなー。今でも疑問。反対にフーディング=卒業式とは違う博士ガウン着用式で主査がしてくれた要約は涙が出るほどだった。ああ、この先生は本当に俺の仕事を理解していた、ナンチャッテ。)

批判的部分で、「ただし、個々の作品の読み取りに周到さを欠く場合や、時代情況を踏まえないで速断が下される個所があり、また古代女性史研究の積み重ねがじゅうぶんに咀嚼されていないなどの批判もあった。」とあるが、(まあ、誰かの意見にあったそのままを書いたのであって仕方がないのだろうが)そんなことをいう意見があったら、きっぱりと著者=小谷野氏に直させるか、著者の思い違いでないことを反論させてから授与すればいい。瑕疵論文を嫌々ながら合格させたみたいで小谷野氏自身もいい気はしないだろう。だいたい、「個々の作品の読み取りに周到さを欠く場合」などは誰にでもあることであり、授与理由にわざわざ記すものではない。

誰が書いた授与理由?主査の川本皓嗣先生?まさかネ。だって、あの文章は七五調じゃないもの。

私信的なこと:例の学長の椅子ですが、検証不可能です。1)そんな人は一人二人じゃないだろうし、2)そのように主張する人が実際は果たしてそうであったかを確認するのが難しい。だから、無理。ただし、ご母堂の名前は誰かというなら話は別ですが、そのためになら「学長の椅子物語」は役に立たない。