Comments by Dr Marks

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コメントにならないコメント−3 (今頃不良になった中年男イーアマンの近著、God's Problem)


現在、本家をないがしろにしているが、ちょっと事情がある。さて、その本家にいろいろ約束があったのだが、今回は本家で昨年予告したイーアマンの近著(Bart D. Ehrman, God's Problem: How the Bible Fails to Answer Our Most Important Question−Why We Suffer, New York: HarperOne, 2008)をようやく入手したので紹介しよう。実は、サンディエゴに行く前に入手したので、出先でも時間が空くとちょいちょい読み、サンファンカピストラーノの喫茶店でも読み継いできた。

で、私の予告では書評するはずであったが、書評に値する本ではないことがわかった。こきおろすことはできる。しかし、節度をもって、彼の問題点だけに留めようと思う。今、「彼の問題点」と言ったが、この近著の問題点というよりは、まさに彼の問題点である。もっと有り体に言えば、この本の標題である『神の問題』などではなく彼自身のつまらない問題であるから、アマゾンのある書評にあったように、読者への説得力が何もない。

面白いことは面白い。とくに彼自身の生い立ちや、多少の粉飾はあるであろうが、彼の職歴に絡ませた信仰歴などは、覗き趣味ではあるがついつい面白がってしまう。しかし、肝心の中身だが、大学院生が書いた以下の内容である。私はいつも述べているように、彼の新約学者としての実力も、新約学に関する講義の技術も、ともに非凡なものとして買っている。しかし、この本は彼の専門からはるかに離れた内容であり、宗教哲学あるいは神学理論(因みに私の本来の専門は神学理論)のよほどできの悪い大学院生が、論文執筆段階に至るはるか前のステージで引導渡される根拠となるような中身である。(「アーマン」とかの著者名で、また素人さんが日本語に訳すかもしれないが、この本に限れば、ただの新約学者が素人として神義論=theodicy に関わった本だから、もともと素人さんが訳したっていいわけだ。)

小谷野先生が、1.5流の大学から一流大学にステップアップする人たちのことを書いていたが、やはり通常はその程度から一流に上らないと後に不都合が起きる。三流から一流には無理がある。それは何か? 教養の不足、あるいは欠如である。例外はもちろんあるが、人間は高等学校頃の年代に、なるべくバランスのよい知識と教養を、なるべく広く満遍なく身につけておくべきだ。その後、何かに熱中することはあるとしても、根本的に教養が備わっていれば、極端な思想や信仰におぼれる可能性は少ない。もちろん、一流大学にいる人間がすべて教養があるわけではない。東大生なんかのかなりの割合は、昔から変なものにとりつかれてきたものである。とくに理系で、かつ読書習慣に欠ける学生の場合は危ないことが多い。ただ、二流以下の大学に入った者が、狭い分野で頭角を現した場合は、教養のなさで破綻する可能性が高いことは言えると思う。イーアマンはその典型だ。(裏腹のケースは、東大宗教学の某教授であろうか、理系の素晴らしい秀才だったが、今なお、結局のところ「宗教」とは何か肝心なことがわからないで、どうでもよいところを低回している。)

どうもイーアマンは初めからまともな大学に入れるような高校生ではなかったようだ。しかし、教会や聖書に対する熱心さは十分にある上、潜在能力もあって、徐々にギリシア語に頭角を現したが、どれだけ小説や他の歴史書あるいは思想書を読んできたのか疑問である。Walter Bauer の初期キリスト教文献に関する著作程度で感動してしまうのでは、何の免疫も持ち合わせないネンネであったのだろう。つまり、無教養。

同じ信仰を捨てた者としても、ゴールダーやリューデマンの素晴らしいところは、その背教の個人的体験は語らず、専門に関することのみの言動に徹していることだ。昨年の学会で直接リューデマンと交わったときに、その思いはますます強くなった。逆にイーアマンはますます専門を語らず、専門以外の言動を公にする機会が増えたようだが、このYouTubeで語っているように、五つも出版契約していると言っても、ほとんどがクズであろう。それでも読む人がいるから出版社が声を掛けるのであろうね。このYouTubeを見て、ふと思ったが、彼の表情や様子がますます腐ってきているように思う。かつての爽やかな雰囲気が消えてしまっている。確かに、数年前から彼は変わってしまった。あの鋭かった頭脳も腐りだしたのであろうか。

彼については、今までもしばしば書いてきたが、これからはあまり書きたくない。しかし、日本ではますます有名になるのであろうね、「アーマン」って名前で。かつてのクロッサンやロビンソンみたいに。(クロッサンは新約学者としてはイーアマンに劣ると思うが、教養でははるかにイーアマンに勝り、興味深い学者であることは確か。また、ロビンソンは新約学者としてもイーアマンに勝り、教養でも勝る素敵なお爺さんだ。まあ、二人とも不信心なのは困ったものだが、イーアマンみたいにトータルな不信仰ではないからね。イーアマンの奥さんがかわいそうだ。←本を読んだらわかる。)

しかし、これだけは言っておく。彼は少なくとも聖書は知っている。本当の意味で「聖書の意味」を知っているかというのは疑問ではあっても、日本の罰当たり不信心者が聖書を読んだこともなくて何か言うのとは違って、(だいぶ誤った道ではあったが)相当な学びの過程を経た後での現在(agnostic)であるから、今後、真面目な議論がイーアマンにあったら、また取り上げるかもしれない。
[登場した神学者または聖書学者の名前で、興味がもしあるなら、私の本家で検索すれば出てくると思います。あるいはWPでも見てください。一々の紹介は面倒なので省略しました。写真はグレンデールアメリカーナ広場の大噴水、ジャカランダの紫の花が咲き始めた。]