Comments by Dr Marks

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連続ブログ365日のけじめは娘ティシャ・マリーアの本日の写真とノーマン・ペリン教授の概念「信仰知識」としよう、信仰のない宗教学者よっく聞け


本日というのは西海岸時間の18日(日本時間19日)ティシャ・マリーアの写真は2枚にしておく。一つは顔が大きく写ってしまった写真、もう一つが可愛いくてやあらかーい足の裏がチラッと写ったものだ。どだ、かわゆいだろ。

ノーマン・ペリンについては一度書いたことがあるなと気づいた。本家に書いていた頃で、こちらのほうが真面目で情報量も多いかもしれない(http://bit.ly/aVVw0c)。4年も前の記事だ。しかし、今もどうして同じことをと思うかもしれないが、同じではない。第一、今は真面目に書いてはいない。次に、何らかの信仰があって宗教学をすることと、なくてすることとの違いを知らない人が日本には多すぎると思ったからだ。

Norman Perrin(1920–1976)は若くして死んでしまった。シカゴ大学の准教授だった。まあ、若くしてといっても50代半ばだが、いわゆるサイレント・キラーによる突然死だ。この年代の人は血圧などこまめにチェックしておいたほうがいいようだ。人生は面白いもので、彼が早く死んでしまったお陰でシカゴ大学のポストがなくなり、マイナーな大学に定年までいたために、かえって著作で名を成した人もいた。ジョン・ドミニック・クロッサン(John Dominic Crossan, 1934–)だ。


マイナーな大学で教養程度の同じことを毎年教えていると本を書く時間が作れるぞー。ともかく、ペリン先生は若手のクロッサンを高く買っていて、履歴書を手許に置きシカゴ大学に推薦するつもりでいたが、突然に死んだために研究室の整理は日系アメリカ人であるジョセフ・(ミツオ・)キタガワが行った。多分、日本で宗教学をやってJoseph Kitagawa(1915–1992)を知らなければもぐりだろう(←またもぐりかよ、好きだなー)。シカゴ大学でミリチア・エリアーデ(Mircea Eliade, 1907–1986)の片腕だった。

キタガワはペリンの机の上にクロッサンの履歴書があるのに目を留め、クロッサンに電話した。彼の「これはどうしましょうか」との問に、クロッサンは答えた「捨ててください」と。大学では、後ろ盾がなくて(つまり、強いコネがなくて)は就職などかなわないのは米国も同じなのだ。つまりアカコネだな。クロッサンはシカゴ大は諦めたのさ。そういえば、シゲルちゃんの娘が(もちろん若くなんかない)早稲田の准教授になったって。シゲルちゃん喜んでた。えっ、何を教えているかって? 帰国子女学。

なかなか肝心な話にならないから、上記の本家の記事を読んでください。ここで止めます。と、いうわけにはいかないな。ペリンの業績の中で余としては「信仰知識(faith-knowledge)」が秀逸だと思っている。この言葉は Rediscovering the Teaching of Jesus という彼の本の236ページに出てくる言葉だが、かつてこの本を図書館で読んで自分でも欲しくなり古書で20ドルで購入したが、驚いたことに著作権切れなのか今ではネットで全文公開されているからどうぞ(http://bit.ly/b30dsG)。その第5章にある。10万回近いアクセスがあるぞ。授業で読んどけっていう先生多いからな。

この話は、歴史学方法論に属する議論である。ドイツ語にはラテン語起源のヒストリーという言葉とドイツ語起源のゲシヒテという言葉があり、どちらも「歴史」という意味だが、理論家によってそれぞれの意味合いが異なってくる。もっとも、まったく別の言葉で対比できるドイツ語の語感は英語や日本語に移すのは更に難しい。

この対比で必ず取り上げられるのはマーティン・ケーラー(Martin Kähler, 1835–1912)の区別だが、その区別とは信仰に関係するキリストの歴史(geschichtliche Christus)と学問上のイエス(historische Jesus)の歴史だった。この考え方は後の実存主義神学や弁証論的神学にも影響を与えたが、今回は割愛する。必要であれば、上記に紹介した第5章を読めばよい。ペリンが多少の概略を述べている。

さて、ペリンは更にこれを敷衍して、三つに分けた。つまり、第一は、学問上のイエスに関する研究historical Jesus であり、信仰的な、また歴史観的な価値付けから自由な研究である。第二は、現代人の目から判断する歴史観の中のイエス historic Jesus であり、第三が信仰者の目から見た、言い換えれば信仰の予備知識から見た(faith-knowledge信仰知識)キリストとなる。

もっとも、この三分化は、突き詰めれば第二と第三の本質的な違いはなくなるので有効ではないし、歴史方法としてもゲシヒテとヒストリーの区別などは有効といえないと批判されるようになった。なるほど、マイヤー兄いなどもそう言っている。しかし、余は、ペリンの信仰知識の概念は不滅だと思っている。この概念抜きに、この概念を意識することなしに宗教学の研究などないと考えるからだ。

ただし、誤解のないように申し添えるが、余が言わんとするのは、信仰知識で歴史をやれ、あるいは信仰知識なしに史的イエスの研究は無理だ、ということではない。むしろ、研究そのものは、そういった価値や歴史観にとらわれずに個々の事実を正確に記述することをもって第一の仕事とするべきだと思っている。

しかし、信仰を持たないものが単にそのつもりでいることと、信仰のあるものが自覚して「信仰知識」をホールドしたまま研究するのとでは雲泥の差があると考える。しばしば、科学的宗教研究と称して個人として信仰にコミットしたことのない者が信仰を離れて研究すると語る。しかし、信仰ある者が信仰を離れて研究する場合と違い、「離れる」意味が本当には知りえないのではないか。

信仰のないものの宗教学は畳の上の水練とまでは言わないが、少なくとも信仰のある者なら当然見逃すはずのない「事実」さえ見えないのではないかと思う。つまり、宗教音痴が宗教研究しても仕方があるまいとしばしば感じることがある。まあ、あの人たちは宗教が趣味なのだし、趣味で飯が食える(大学教授とか)ようになっていれば慶賀なことだから余計な心配かもしれないな。