Comments by Dr Marks

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世界に信用のない日本の大学卒の肩書−ディプロマミル並の大学多数

と言ったって、実害はない。また、昔から某国の大学のレベルは高校並とか某国の博士はせいぜい学士だとか言われてきたものだ。近年は日本がこれら低脳国家に数えられるようになっただけである。

聞くところによると、中央教育審議会文部科学省)は「学士力」、経済産業省は「社会人基礎力」を検討しているらしい。何だこれは、と思う。

第一に、何時までもお上がこんなことに頭を突っ込んでいないで、金だけ出しなさいということだ。むしろ、大学同士が大学のレベルを監視すればいい。無理なのだろうな。身内でやらせると、なあなあ主義に陥りかねない社会だから。

第二に、現在の法律である学位規則との関係はどうなっているのかということだ。経済産業省の「社会人基礎力」の3能力12要素であれば、ことさら揚げ足をとるつもりはない。社会で生き抜く力を項目に分けただけならそんなものだろう。中央教育審議会の4分野13項目が実際に学士の学位のガイドラインになりうるのであろうか。

第三に、学士の質の大本は(修士、博士も基本的には同じ)知識とその応用である。現在、学位規則によって各大学に任されている質の管理がご不満なら、国家試験として統一大学卒業試験でもするしかあるまい。そのほうがすっきりする。

と、項目を挙げてはみたが、要するに、馬鹿馬鹿しいことを、止むに止まれぬのであろうが、よくも政府主導でやっているなということである。馬鹿馬鹿しい。

従来の助教授を准教授と呼んでみようが、准教授の能力が高くなったのではないと同じように、基準に達したから学士の質を保証しますなどと言ってみても、内実はいい加減なことに変わりはない。世間は知っているし、アメリカの企業も大学も、おおむねではあるが、日本のどこの大学はどの程度なのか、もう先刻承知の助でござりまする。

もちろん、大学院入試などしないアメリカ側で、大学院入学に当たって学士の学位を要件として上げていれば、どんな大学であれ、とりあえずはその紙切れを認めざるをえないという問題はある。しかし、あーた、TOEFL その他に加え、こちとらある程度のデータを持っているから、変な学生は入れないし、万一入ったとしても続かないだろう。チビシーから。