Comments by Dr Marks

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信用と信仰―クレジットとトラスト

嘘つきを書いてから「クレジット」を思い出した。「信用」と訳されるが、金融の意味では二重の説明が可能だ。だから、簿記をはじめて習う者はよく混乱する。実はこの言葉は元々は「貸す」ほうの言葉なのだが、日本語あるいは日本的環境では多分のところ「借りる」ほうにイメージが行くだろうが、それは本来の意味ではない。本来というのは、英語の語源としてのラテン語(credere/fides)の話で、この言葉は「信じる」だけではなく、「与える」という意味に関係しているからである。従って、借金のイメージは逆の意味になってしまうが、借りる場合も信用が行き交うので、それも正解だ。ともかく、ややこしい。

どうして貸すほうかというと、あなたが何かの対価に1ドル受けたとすると、その貸した(あるいは与えた)証拠は紙1枚の1ドル紙幣一つだ(兌換紙幣は別として)。その1ドルを持っているということは、1ドルを社会に貸しているようなものだ。社会(あるいは国家)は裏切らないと思って貸しているのだ。(この際、1ドルの実勢=時価は面倒なので置いておく。)他の人がその1ドルを受け取ってくれるのも信用(クレジット)だ。

アメリカのお金には "In God We Trust" と書いてある。そうだ、神に信頼して(信仰を持って)お金を握っているのだよ。信用と信仰は同じとはそのことだ。ところで、アメリカ人はいまだに1ドル札を出し続けている。全米12箇所の印刷局でじゃんじゃん刷っている。硬貨に比べて持ちがよくないのに不合理と思うだろうが、私は1ドル札がなくなったら生きてはいけない。なぜか。

アメリカの札は大きさが同じだ。1ドル札も1000ドル札もだ。(千ドル札はあまり目にしないが、ちゃんとあるよ。)だから、教会で献金するときは、100ドル献金する者も、20ドル献金する者も、私みたいに1ドルしか献金しない者も、遠目には同じように見える。嗚呼、神の前の平等! なんちゅう貧乏人に優しい国じゃ。

それに1ドル札を廃止するのは初代大統領ワシントンに対する冒涜じゃ。1ドル札の肖像はワシントンじゃからな。そんで2ドル札が二代大統領アダムズ、3ドル札が三代大統領ジェファーソンじゃ、というのは嘘。2ドル札はあるが、3ドル札はない。そして、2ドル札の肖像は三代大統領ジェファソンだ。

ところで、無知なアメリカ人の多くは、東京と香港が地続きと思っているほどだが、ロスアンジェリーノ(LAっ子)は初代から三代までの大統領の名前を間違うことはない。北のほうからワシントン通り、アダムズ通り、ジェファソン通りが順に町の中心を通っているからだ。何っ、北から数えるのと南から数えるのを間違えたらどうかって。ワシントンでなく、ジェファソンから数えるような奴は豆腐の角、いやジェロの角に頭ぶつけて死ぬんだな。