Comments by Dr Marks

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埋葬と美術−雨の中、ボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston: MFA Boston)を訪ねて

日中も氷点下が続いていたのに、俄かに温かくなったと思ったら、土砂降りの雨となっていた。何とか飛行場に向かう前にボストン美術館に行く時間を工面できた。ホテルから15分も歩けば行き着けるのにタクシーを使った。ふと見ると、17ドルの入場券の右端に、10日以内なら、もう一度只で見学できる、と書いてあった。ああ、残念無念、涙雨。(L.A.に着いたら、ここも大雨なのにびっくり。)

雨脚が酷く、岡倉天心の天心園(Japanese Garden)の散策もできなかった。しかし、大森貝塚のモールス(本当の発音はモースが近い)博士の収集した日本の書籍の一部には会うことができた。ことさら「会う」というのは、モールス博士が関東大震災の後に東京大学に寄贈した2万点の蔵書の一部を利用して、私は大昔に東京で勉強していたことがあるからだ。

時間がないので近現代の美術は飛ばしてしまった。ただ、スルバラン(Francisco de Zurbaran)の絵の前では、しばし腰を下ろして絵を見つめていた。何点かあったが、150号ほどの聖フランシス(聖フランチェスコ)の絵が一番大きく、その絵のごとく、ただ口をポカンと開けて見ていた。他の何枚かの聖フランシスは、頭蓋骨を小脇に置いたり抱えたりしているが、ここの聖フランシスはポカンとして天を仰いでいるだけなのがいいし、実に清潔な着衣が印象的だ。この写真ではよくわからないが、四つの結び目の腰紐(tie cord)は、金色に光っていた。

絵の説明にもあるとおりスルバランの頃のニコラス5世ローマ法王が夢の中に見たイメージだそうだ。アッシジの自分の墓所である地下礼拝堂の前で、200年前に死んだはずの聖フランシスが立っていたそうだ。こんな風にポカンとして一心にどこかを見つめていたのだろう。

 Sarcophagus of Queen Hatshepsut

トドさんと話題にしたハトシェプスト女王のミイラや内臓を入れる壺(canopic jar)とは別に棺(sarcophagus)があるわけだが、このボストン博物館にサーコッファガス*1があるとは知らなかったので驚きだった。早速、暗いところに展示されていたのだが、胸躍らせて写真を撮った。携帯の写真なのでよくはないが、美術館のサイトにある詳細な写真より、雰囲気は出ているだろう。

 Athenian Red-figure Vases

レキュソス(lekythos、複数形は lekythoi)という油壺がある。古代に広く分布していたが、紀元前5世紀頃のギリシアでは盛んだった。幾つかのパターンがあり(人物が赤とか黒とか下地が白とか、ほっそり型とかずんぐり型とか種々)豊富に出土し、保存がいいものが多い。なぜか? 埋葬用で、墓地に入れられていたからだ。人物が赤いもの(red-figure)と下地が白いもの(white ground)でいずれもほっそり型が並んでいたので写真に撮った。他のレキュソスは Google で「lekythos」と入れて図像検索すると世界の美術館が所蔵する写真がたくさん出てくるはずだ。

 White Ground Vases

それらの中でも、私にはボストンのこれらが好ましく思えた。最後の写真は下地が白いレキュソスの陳列の中で、破片になってしまったものである。女性の胸に可愛い女の子の顔がかすかに見えないだろうか(携帯カメラなのですまない)。漫画の絵のようではあるが、あどけなさが気に入って写真に納めてきた。普通、レキュソスの絵のモチーフは、埋葬されている故人が主人公の物語などである。

 A Fragment of the White Ground Vase

*1:この片仮名発音は英語風。「コ」にアクセント。ギリシア語で「サルコス=肉」と「ファゲイン=食べる」の合成語。ここから、ライムストーンで作った棺は肉を早く溶かして骨にする、などと俗説を語る者がいるが、サーコッファガスは単に「棺」のことであって、どんな石で作ってあっても、また金属製や木製や磁器製であってもサーコッファガスはサーコッファガスなのである。