Comments by Dr Marks

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神学から始まるか、諸学から神学に至るか―履歴の違い(Dr. Marks の偽履歴書)

初めに神学から入ると、神学や聖書学など早々に終わってしまったように感じる人は多い。他の機会に書いたことがあるが、日本から神学校(神学大学院のこと)に入学してくる者の(今は違うのかもしれないが)多くは牧師の子息だったりしたものだ。そうでなくてもクリスチャンの家庭に育った子息だったりする。(そういえば、荒井献も田川建三もそうだな。前者の父親は牧師、後者も母親がクリスチャンのはず。)

もちろん、クリスチャン1世もいるのだが、あまりに早く神学や聖書学がわかってしまったと勘違いすると、別の分野に向かってしまう。マシア博士みたいにキリスト教倫理学とか。その点では、荒井や田川はむしろ例外だろう。彼ら子息は一応牧師や聖職者としての基礎学問を終えライセンスを得るが(多分、荒井や田川は聖職者じゃない、この点、欧米の神学者と違うな)、徐々に社会学や心理学やその他の学問のほうが面白くなってしまう。そりゃそうだ、あがるまさんじゃないが神学や聖書学なんて世迷言もいいところだからね。

私の場合はまったく逆だった。まず科学少年。中学や高校の初め頃は、教育委員会から私的に委任されて学区の教科書選定に偉そうに参加していたくらいだ。あのまま行ったら今頃物理学者でノーベル賞ナンチャッテ。ちょっと若すぎるか。次に物理学を極めていくと哲学のような気がした。ほんで哲学にしばらく取り掛かるが、当時は哲学史にはあまり興味をそそられることなく、哲学の方法論に集中した(具体的にはデカルトフッサール)。この哲学に挫折してからはいわゆる社会科学の一種に鞍替えして、幾星霜。

それも碌なものにならぬうちに(実業界にもいたもんで)いつの間にか年寄りに(笑)。まあ、今よりは若かったので大いに働いた。働きすぎて(人の原稿読みすぎて)元々悪い右目が決定的な網膜剥離。コネを利用して某大病院に割り込み入院して緊急手術。入院期間中にはいろいろと面白い人物と談話室で一緒になった。高僧だとか教授とか編集者とか、そしてこの人たちは皆爺様。爺様といっても、せいぜい今の私くらいの人もいただろうに爺様に見えたんだから大笑いだな。そうだ、そういえば引退したような本当の爺様はいなかった。

その中のある人が変なことを言った。「いやね、若いときから本当にやりたい研究のためにと思って、大袈裟に言えば蔵一つの資料を集めたんですよ。それが今多少の時間的余裕ができて、さあ始めようと思いましたらね。とんでもないことが起こりました。何だと思いますか。あの熱いやる気も興味も失せていたんですよ」。続けて、「資料というのは映画史関係なんです。映画関連の著作はもちろん一次資料としての世界中の映画ポスターなども山ほどあるんです。自分はもうやりたくはないが、やりたい人のために図書館にでも寄贈しようと考えています」と最後はため息だ。

そして彼は、「ウォーターマンさん、あなたは神学や聖書学の現状だけでも直接覗いてみたいと言っていましたね。いつやるつもりですか」と私に問いかけてきた。実は、さまざまな経済的事情もあったので、引退してから60過ぎくらいで趣味で神学大学院に行くつもりだった。それゆえ、そのときは煮え切らない返事をしたと思うが、詳しくは忘れた。

しかし、それからほぼ1年後の9月に神学の修士課程に入学した。科学少年で宗教大嫌い(今でも嫌い)の無神論者が(これは今は違う)、わずかな蓄えを元手にフルタイムの仕事人からフルタイムの(2年間はフルタイム)学生に戻った。初めは全部自費だったが、間もなく奨学金もついて助かった。額はともかく、成績優良で学校が勝手に無償還のものをくれた。今は学校に寄付してる(ちょっぴりだけど)。

辿る道が神学から始まったのではないためなのか、放蕩息子の里帰り、諸学を敵に回し、神学一本の男の操、ずいぶんと頑固で保守的なクリスチャンになってしまった。牧師の娘である細君もしばしば面食らうほどのパウロ的狂信者。説教まで、「それ、ポーロは、ダマスコに近づきたるに、たちまち、大いなる光現れ、ベベンベン…」などと古風(大正リヴァイヴァル風)でありますわいな。