カミのないカミの国
先日はラビがサポートで生きているというように奇麗事を書いたが、実際はお乞食さんも多い。とくに観光客の多い西の壁(嘆きの壁)などはそうだ。金持ちの国から来たユダヤ人(あるいはそうでなかろうが)とみると、ヘブル語を話すか英語かと近づいてくる。聖書を広げ、例えば申命記の6章4節のシェマーを読んでくれ、祝福の祈りをして「アーメンと言え」となる。そして、「いくらか置いていけ」。(置かなくたっていいよ。祝福は祝福。)
初めの写真は西の壁の男の広場でバルミツバ(男の子の成人式=13歳)を祝って踊っている人たちだ。女は壁に向かって右側の女の広場にしか入れないので、お母さんたちは境目の柵の前で椅子の上に乗って写真を撮っている。
この写真は西の壁を背にして撮ったもので、背景の何層もの石の街がユダヤ人居住区だ。ここはエルサレム古都の中では一番きれいだしクレジットカードが使えるレストランもある。また、この街の店には正札があり、だいたい相場だと思ってもいい。ということは、他は正札なしで交渉次第だ。最初の言い値の三分の一まで下げるのは普通で、本当は十分の一でも売るつもりなので、ご注意のほどを。
2枚目の写真は、石の街のユダヤ人居住区からお馴染みの風景である西の壁広場を撮ったもの。この街は1枚目の写真でわかるように階段だらけ。バリアフリーもへったくれもない。車椅子はもちろん足腰の弱い人は行けない。しかし、うまい具合に通り道はあって、一部の地区には車でも行ける。そうそう、猫は足腰が強いから、うじゃうじゃいるぞ。置いてきたルーファスをまた思い出してしまう。
題の意味を忘れるところだった。あれは「紙のない神の国」ということだ。日本の公衆トイレでアメリカ人が困るのは手拭の紙が備わっていないことだ。だから私は日本にはハンカチを持っていく。アメリカではハンカチはいらない。どこにも手拭の紙がふんだんにあるからだ。しかし、このイスラエルでは、ホテルなどを除いてはトイレに尻を拭く紙さえない。慌てて飛び込んで「はて、どうするべ」となる。従って、ルーマニアンジューのメリーHなどは、誰にでも「イスラエルに行くなら、トイレットペーパーの芯を抜いて、畳んでたくさん持って行きなさい」とアドヴァイスするわけだ。もっとも本当の意味は「神の(い)ない神の国」かもしれないよ。