Comments by Dr Marks

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多分買っても無駄な本と、多分買ったら面白い本


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新刊が出ると、いろいろとお誘いの案内が来るのは、ネットで本を買う諸兄諸姉も同じだろう。私がアーマンとも言われるイーアマンに対抗して書かれた Timothy Paul Jones: Misquoting Truth (IVP, 2007) を購入したり書評したものだから上記の本の案内があった。中味も一応目を通した。結論、買ってもしょうがないね。

それなりの本屋(出版社)から出ていて一応のイーアマン毒に対する処方のあるジョーンズの本と違い、この本ではイーアマン毒に対抗する免疫力も落ちてしまうかもしれない。70ページそこらでよくも恥ずかしくもなく本にしたものだと思う。本というよりイーアマン目の敵のパンフレットだ。ジョーンズの場合は、イーアマンの言わんとするところを正しくとらえてから学問的な異論を紹介しているが、この本には何もない。つまり、ジョーンズの場合、イーアマンを読むなということではなく、読んだらばこんな見方もいかがでしょうか、というもので読者のためになるが、この本は駄目。

イーアマンが聖書学に関して権威はどこから来るかと問われて、どのような学問的訓練を受けたかだね、とかつて答えたように、学問的なことについては学問的な訓練を受けているかどうかということが、(残念ながら、と言っておこうか)大きな問題(あるいは基準)である。しかるに、この著者シェリル氏は、イーアマンの学問的な議論まで信仰の問題にすりかえる(あるいは理解しえていない)のだ。だから、単に不信仰者の著作という攻撃で終わってしまう。

シェリルさん、聖書はやはり「人間が書いた」のですよ。ただし、「神の霊感を受けた人間」かどうかは別の問題だ。あなたは1971年に12年生(高校の最高学年)だったというから、もうすぐ60歳なのでしょうね。2002年に非常に保守的な神学校で修士を取り、2007年からはサザン・バプテストで聖職者として奉仕しているのですか。確かに、イーアマンと違って、今後信仰が揺るぐことはないのでしょうが、イーアマンが若いときに出会ったような優秀な若者のためにならない聖職者にはならないように願いたいものです。

翻訳家列伝101 (ハンドブック・シリーズ)

翻訳家列伝101 (ハンドブック・シリーズ)

長くなってしまったので、後半は簡単に。小谷野敦先生のこの本は日本アマゾンの書評がやたらトンデモなので笑ってしまった。アメリカ・アマゾンの書評は普通長いのに日本アマゾンの書評は寸評であって面白くないが、感心に長い書評があるなと思って読むと、それが的外れだから大笑い。

この本は、タイトルにある「101」に注目しなければならない。101とはアメリカなどの大学の講義で新入生対象の最初の基礎講座の講座番号じゃよ。つまり、入門篇というわけだ。実際、101人の翻訳家を紹介したのではなく、101+90α人なのだ。これだけの翻訳家を一堂に集めて紹介してくれる本が他にあるか? その先の応用は自分ですればいいし、その先に進むためにはこの本の踏み台としての意義は大きい。

それにこれは「伝」である。翻訳の精度などは本書では二次的なもので、「伝」としての読み応えのある挿話が重要ではないか。そここそ読んでみたいから買う。だいたい私自身が翻訳に携わり、翻訳者の採用試験をしてきた立場からすると、翻訳の良し悪しは当該の言語ができるからできるとは限らない。ロシア語ができたらロシア語の翻訳の良し悪しがわかるわけでもないのだ。少なくとも自国語が十分にできて、多少の(かつ、幾つかの)外国語ができれば、訳文を読んでみただけで良い翻訳家かどうかぐらい判断がつくのだよ。

このことには編集者なら同意してくれるだろうが、そうでなくても、これだけの翻訳家の文章を渉猟した小谷野氏が言うことだから、おおむね妥当だろうと想像できることが、想像力豊かと言うのだよ。こうなるとイーアマンの言うような学問的訓練などなくてもわかる。知性のかけらがあればいい。