Comments by Dr Marks

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アマゾン日本の書評に評者の実名が極端に少ないのは、やはり異常かも知れない(小谷野敦ブログをきっかけに)

学会誌上の書評とは別で、アマゾンのような一般書籍通販カタログ上の書評には、実名(Real Name)ではなく匿名(ネット上の匿名は普通英語でUsername)の評者が登場する。しかし、実名が多い米国アマゾン(Amazon.com)と比べて日本のアマゾン(Amazon.co.jp)はほとんどが匿名ばかりだというのが小谷野氏のブログの内容だ(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100322)。

実は小谷野氏は匿名という言葉のほかに変名という用語も使っている。どちらかといえば、Usernameというのは変名に近いかもしれない。変名やUsernameの場合は、実名でなくてもかならずしも匿名(anonymity または hidden name)とは限らないこともある。例えば、このブログでは私の変名は Dr Marks であるが、自己紹介には実名の Mark Waterman が出ているし、Twitter のアカウントは実名で取れなかったので Marukusu_hakase などという奇妙なものになったが、これも実名(ミドルネーム入りで Mark W. Waterman)であることは誰にでもわかるようになっている。

本当のことを言うと、米国アマゾンの評者にも変名ないし匿名でも評判のいいUsername評者がいる。実名ではないのだが一般の評判が悪くはない人は少なくないのである。このことは、「ネット社会では実名でなければならない」あるいはその逆の主張(all or nothing)を退けるのに有利な現状かもしれない。従って、ネット上での言論人は、Real Name であろうが Username であろうが本質的に変わらないという議論にも一理ある。

ところが、書評の場合は特別な事情を考慮しなければならないだろう。とくに、その内容が道理に導かれていないものの場合(具体的には一言居士的な寸評の場合だ。勢いそれは「べたぼめ書評(Rave Bookreview)」となるか「罵倒書評(Abuse Bookreview)」になってしまう。どちらも、書評であるゆえに大きな問題を孕んでいる。米国における懸念は、実は罵倒よりもべたぼめだ。著者があるいは出版社の身内が売らんがための Rave になるからだ。小谷野氏が問題にしたのは Abuse であろう。これも匿名を隠れ蓑に意図的になされるとすれば極めて卑怯で有害な行為になる。

アマゾンは、これらの書評倫理やポリシーに関してはあまり多くを語らない、いな、むしろ黙している。多分、社の方針を明確にするのには複雑なそれぞれの事情があるからであろう。しかし、この記事を書くに当たって、米国のほかに、英国(Amazon.co.uk)、フランス(Amazon.fr)、ドイツ(Amazon.de)を調べた結果、確かに実名評者は多い。むしろ、誇りをもって実名を使用している観がある。そうすると、小谷野氏の懸念どおり、"匿名は日本の伝統文化だ」とか開き直られたらやだな"、と私も思わざるをえない。

自分が無名であるから言うのではないが、この際、「無名の者(a nothing)が実名を出しても意味がない」などと、むしろ傲慢不遜なことは言わず、何も住所や個人の電話番号まで曝すわけではないので、一般の人が徐々に実名を使うようにしたらどうだろう。これからのネット社会が無法地帯ではなく、人間に有意義な場としてゆくためにも、そのほうがいいような気がする。少なくとも無責任なことをネット社会ですることはなくなるのではあるまいか。

アマゾンでの実名書評だが、簡単である。アマゾンで本を買う際は自分のクレジットカードで買うであろう。クレジットカードには実名がある。実名のログイン状態で書評すれば、実名と表記される。実は、これが一番簡単な書評の記入方法なのだ。やってみた人はわかる。

補足:わざわざ、各国URLや英語を入れたのは、日本国内の論調ばかりでなく英語のキーワードなどからネットで世界の意見を自分で探れるようにと。Good luck!