Comments by Dr Marks

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天皇制という奴隷制、悔いを残した新憲法

小谷野敦(猫猫)先生が小林の言説を引用してこう書いていた(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100217

小林よしのりは遂にパンドラの箱を開けた。悠仁親王が成長しても、美智子・雅子二代にわたる苦労を見たら、嫁にくる女性はいないのではないかと言うのだ。ならば、愛子内親王天皇になったって、婿に来るやつなどやはりいないということになるではないか。

嫁や婿の話はどうでもいいが、好んで皇族になった美智子・雅子二代は serve them right(自業自得)としても、嫁に行ってみたら、それほど非人間的な環境に置かれてしまうということだ。猫が猫に生まれて猫であることを知らず、犬が犬に生まれて犬であることを知らないように、皇族に生まれ落ちると、自分は生物学的にほかの日本人と同じ人間であることを自覚できないおそれはある。

それならそれで、猫同様、犬同様の生涯を送れればいいが、ふと自分は他の日本人と同じ人間でありながら、基本的人権すら享受できない奴隷であることを知ったならば、嘆かないであろうか。死ぬほど苦しく感じるのではなかろうか。そもそも Hirohito の人間宣言とは何であったのか。神から人間になったつもりであろうが、奴隷にまで落ちていくことを馬鹿なHirohitoは知らなかったのであろう。

しかし、その非はGHQにあるのかもしれない。象徴などというふざけた扱いで天皇制を存続させたことは痛恨の失政だった。あの当時としてはやむをえない判断であったとしても、失敗は失敗だ。早く憲法を改正して天皇制を廃止するのでなければ、世界の非人権的非民主国家を咎めることもできまい。

小谷野先生よりのご指摘:「ブログ拝読しましたが、『人間宣言』には『人間』なんて言葉は出てこないのです。」
DrMarks補足:俗にいう「人間宣言」も徹底して訳文(英文から和文へ)を確認し得なかったGHQの責任かもしれない。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80