Comments by Dr Marks

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悲劇のパリ・ユダヤ人街にあるユダヤ歴史美術館(「イーディッシュの母」の歌声と共に)ズィルババーグがイーディッシュ語で、アズナヴールがフランス語で

パリのユダヤ歴史美術館(Musée d'art et d'histoire du Judaïsme)はオテル・ドゥ・サン・テニャン(Hôtel de Saint-Aignan)の建物にあるが、その近辺(美術館の住所は 71, rue du Temple)は、ドイツ・オーストリアや東欧から逃れてきたユダヤ人の難民が多くいた通り(rue des Rosiers)と重なる。1939年から1940年にかけては、着の身着のまま貧しいながらもほっと一息ついたユダヤ人が、フランス第三共和国の庇護の下で安心して暮らしていた。〔http://www.mahj.org/

ところがナチス独軍と手を結んだフランスのヴィシー政府は(自由フランス政府はロンドンに亡命)、一説によると、ナチスからの要請もなかったのに自らユダヤ人を捕らえて強制収容所に送り出した。1940年10月の初旬であった。

そうなるまえの、ロジエ通り(漢字で書けば「路地絵」なんちゃって)の風景が、ズィルババーグがイーディッシュ語で歌う「イーディッシュの母=イーディッシェ・マメ」の背景に流れる。

ついでにおまけに、シャルル・アズナヴールのフランス語の「イーディッシュの母=ラ・イーディッシュ・ママ」もね。