Comments by Dr Marks

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文化功労者水木しげるの愛読書、エッカーマン『ゲェテとの対話』の訳者亀尾英四郎のこと

今日は専門の話ではない。水木しげる文化功労者というニューズから、水木しげるとはどういう人なのかと日本語版ウィキペディアを覗いてみた。なお、英語版ほか各国語で彼の名前は項目としてたっているが日本語版が詳しいからだ。

水木しげるの漫画であるゲゲゲの鬼太郎というキャラクターについては知っているが漫画を読んだ記憶はあまりない。また、日本のニューズで『ゲゲゲの女房』というテレビドラマがヒットしていることは漏れ聞いたが、そのドラマを観る機会はいまだにない。

しかし、漫画家が文化功労賞ということでウィキペディアを覗いてみたわけで、何も知らない人のことだから興味をもって隅々まで読んでしまった。戦争で片腕をなくしていることも知った。読書家で聖書も読んでいたと知れば、彼が片腕をなくしても命があればいいと考えていることも頷けるが、ウィキペディアにはその発言に関しての聖書への言及がない。だから、しておこう。マタイ伝には「片手片足になっても命にあずかるほうがよい」(18:8)と書いてある。

そして戦争が始まって最も気に入った本がエッカーマンの『ゲーテとの対話』とウィキにはあるが、彼が読んだのは山下肇の訳であるはずはなく、亀尾英四郎(かめお・えいしろう)の訳であったはずだ。そうだとすれば、どちらも岩波文庫ではあるが、亀尾訳は『ゲェテとの対話』であろう。昔持っていたが今は手許にないので確認はしていない。そして、水木しげるも亀尾英四郎も鳥取県しかも伯耆の出身だ。

なんでこんなことを知っているか。亀尾英四郎は家族を養うに配給食糧だけで生活し、自らは1945年に栄養失調で死んだ人だから知るはずはないが、亀尾英四郎の長男を知っているからだ。この方は父英四郎の死後、弟たちの親代わりをしながら苦労して東京帝国大学を終えた哲学の教師で、最後に会ったのは数年前だが存命のはずである。酒好きでカントやデューイの研究者だ。著書もいくつかある。父英四郎より多いだろう。

亀尾英四郎は1895年生まれ。東京帝国大学を卒業後1925年に東京高等学校(現、東京大学教養学部)のドイツ語教授となる。上記の事情で亡くなったときはわずか51歳であった。言っていいかどうか躊躇するが、私の知る息子は父親が教授をする東京高等学校を卒業した後、東京帝国大学の学生のときに父親英四郎が亡くなった。それで、その頃を思い出し、「つまらないことで死なれたので俺は大変だった」と言っていたことがある。
さて、水木しげるはどうしてこの本が気に入ったのであろうか。ひょっとして著者ヨハン・エッカーマン(Johann Peter Eckermann, 1792−1854)のほうではないかと疑ってみた。いや、水木は存命の方なのだから聞いて確認することはできるだろう。誰か聞いてごらん。どうしてかというと、水木の青少年時代の苦悩がゲーテよりはエッカーマンに重なるからだ。確かにエッカーマンが自分のことを語る部分(前書など)はそれなりに面白いのだ。
手許にない本なのでネットで読めるサイトを探したが、ドイツ語版だけだった。一応紹介しておく。http://gutenberg.spiegel.de/?id=5&xid=515&kapitel=1#gb_found