Comments by Dr Marks

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イスラムの大生贄祭(Eid Al-Adha )が近いがムスリム(イスラム教徒)は生贄はイサクでなくイシュマエルだと信じていることについて

今年のEid Al-Adha(エイド・アル・アドゥハ)は、今年の巡礼(Hajji、ハッジ)期間11月14日−18日の中日16日に行われる。(太陰暦なので毎年違う。)みんなみんなサウジアラビアはメッカのカバ神殿に詣でるわけだ。しかし、「みんな」といっても路銀がなければ駄目だから一生かかって一度も行けない人のほうが多い。いったんメッカに着けば、無一文でもなんとかなるそうだ。サウジアラビア政府が寝るところ(テント)と食物は用意してくれる。

アブラハムユダヤ教徒キリスト教徒、イスラム教徒が、神の友人とまで言われた信仰の人として尊敬している。その一つの例が我が子を神の命令だからといって生贄にしようとするほど過激だからだ。狂信だと思うなかれ。三教ともそう思っているんだから。(まっ、天才と気違いの差のようなもので紙一重だけどね。)

さて、この生贄の話の中でユダヤ教徒キリスト教徒は、生贄にしようとしたアブラハムの息子とは、サラが産んだイサクだと信じている。だって、旧約聖書の創世記22章にははっきりと「い・さ・く」って書いてあるんだもの。ならば、イスラム教徒だってそう信じればいいんじゃん。彼らも旧約聖書コーランの次に重要視してるんでしょう。

確かにそうだけど、イスラム教徒はアラビア語しか信じないからな。ヒブル語やギリシア語訳の旧約聖書なんてゴミ。ゴミなんだよ。本当は「い・しゅ・ま・い・る」と書いてあったのに、ユダヤ人たちが勝手に書き換えたんだとムスリムは主張してるんだ。ユダヤ人がチート(cheat)したんだって。だから、殺されかかった息子とはハガルの息子イシュマエルということになる。

じゃ、どっちが正しいの? 結論を言おう。ユダヤ教徒キリスト教徒がイサクと言っていてイスラム教徒だけがイシュマエルだから多数決でイサクだ。(嘘、これ冗談だからね。)余の判断としてはイサクとしておこう。まず、(1)現行の聖書記述という証拠があり、(2)神学的な解釈からもイサクというのが自然だ。しかし、イスラム教徒の言い分にも多少の合理性がある。それらについて、ブログとしては長くなってしまうが説明しよう。

まず、イスラム教徒は(一般のイスラム教徒であって本格的なイスラム学者は除く)現行の聖書(創世記22章の「イサク」という息子の名前)は改竄されたものであるというが、その証拠が示されたことはない。アラビア半島のメッカ地方はモハメッド以前からイシュマエル崇敬があった。カバ神殿はアブラハムとイシュマエルが造ったと信じられていたからである(コーラン2:125参照)。モハメッドはその元々の伝統の上に立っていたのであるというのが、中世からのイスラム学者の解釈である。

従って、イスラム学者の中には、イシュマエルが生贄に選ばれた息子であるとまで主張するのは、そのイシュマエル贔屓の延長にすぎず、事実、古い記録ではイシュマエルであるという主張はなかったという者も少なくない。先にブログで紹介したイギリスのイスラム学者マーティン・リングズの『モハメッド伝記』では、この論争を避けており、エジプトのイスラム学者でソルボンヌで教育を受けたムハマッド・フセイン・ハイカル(Muhammad Husayn Haykal、1888−1956)の『モハメッド伝記』でも微妙である。
なお、ハイカルの本の英訳はネットで見ることができる(http://bit.ly/akA0bs)。第2章のMakkah, the Ka’bah, the Quraysh(メッカ、カバ神殿、クライシュ族)が、この問題を扱っているから、そこだけでもどうぞ。このような資料を紹介するときには、どうしても日本語以外になってしまうが、不完全ながらグーグル等では自動翻訳があるので利用していただくしかない。その訳文と原文を見比べれば、大事なところは自分で検討できるであろう。余はなんでも押し付けは好まない。たとえ不完全であろうと、自分で判断してもらいたいからなるべく資料を紹介しているわけである、なんちゃってね。
コーランの中で、この話が出てくるのはスラー(surah=コーランの章のこと)37の100−107節であるが、実はイシュマエルの名はない。単に「息子」としか書いていないのである。それなのに何故イシュマエルと主張するかといえば、そのときの唯一の息子(創世記22:2「あなたの愛する独り子」参照)はイシュマエルしかいないというのだ。確かにハガルに産ませた子イシュマエルだけが14年間アブラハムの独り子であった(イシュマエルが生まれた創世記16:16でアブラハム86歳、創世記21:5でサラに産ませたイサクはアブラハム100歳のとき)。
だから、おそらく、イサクが生まれる1年前のイシュマエル13歳頃の出来事だとイスラム教徒は主張する。確かに、コーランはこの出来事の後に、この事件の褒美としてイサク誕生の予告があったと記述している(コーラン37:109−112)。また、彼らの預言者の順序は「アブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブ」(コーラン3:84)であるし、他でも「イシュマエル、イサク」(14:39)と並べるのである。ただし、38:45では「アブラハム、イサク、ヤコブ」となる。
さて、このように一種の理詰めで聖書とコーランを解釈するわけであるが、ユダヤ教徒キリスト教徒は、イシュマエルは側室あるいは奴隷であるハガルの息子であるばかりか、生誕に当たって至極自然なものであるが、イサクは正室サラの子であるばかりか、生誕に当たって極めて奇跡的なものであった。アブラハム(100歳)もサラ(90歳)も、どちらも高齢で神の介在なしにはありえない誕生であり、後継の約束もイサクだけに与えられているのであるから、本来の「独り子」はイサクだけである、というのがユダヤ教徒キリスト教徒の極めて神学的な主張である(ガラテア書4:28−29、ヘブライ書11:17、ヤコブ書2:21等参照)。
なお、紹介したハイカルの本にも載っている面白い話がある。イシュマエルがアブラハムに連れられて行ったので、悪魔が母親ハガルのところに行き、「彼らは何しに行ったかわかるかい」とたずねるとハガルは「遠足でしょ」と答えるので、「違うよ、あんたの息子を生贄にするつもりさ」と教えてしまう。ハガルはビックリして「だってアブラハムはあんなに息子を愛してるのになぜ」と聞き返す。悪魔は「ふっふっふ、アラーがそう命じたからさ」と言ったとき、ハガルはすかさず「アラーの命令なら間違いありません」と応じた。
ハガルが予想に反して自分の役には立たないと覚った悪魔は、同じ試みをイシュマエルにする。イシュマエルは一瞬たじろぐものの「アラーのお望みなら父のすることは正しい」と言い切るので、ここでも悪魔は負けてしまうという話だ。更に、面白いことを言おう。この同じ話が、ハガルでなくサラ、イシュマエルでなくイサクという登場人物であるんだよ、中東には。
さて、聖書やコーランからの引用文までは書き込まなかった。聖書とコーランくらいは自分で読んでよね。引用の箇所は書いておいたんだから。自分の本として持ってればいいんだが、聖書とコーランくらいはネットにあるよ。探してご覧、いろいろあるから。