Comments by Dr Marks

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どちらにコメントするか悩むことに関するコメント

ブログを二つも運営するようになって、はてこの記事はこちらでよいのかと逡巡することがあるようになった。もちろん、本家は原始キリスト教研究の北米の現状(一端にすぎないが)とそれにまつわる(無関係なこともあるが)私個人の生活であり、この分家はコメントできないサイトへのコメントであるから、おのずと判然とすることもあるが、同じ人間の小さな頭の中なので、どうしても共通してしまって悩む(←大袈裟だ)。

しかし、話変わるが、ブログが二つになると実際は読者が増えるのだろうか。実際に、Alexa というサイト訪問者の統計案内で見てみた。私がもっとも頻繁に訪れる Mark Goodacre 博士NT Gateway Weblog の場合、2年前までは常に1日1万人を超えていたのに、新しいリソースが少なくなったからか、あるいは若い学者の常でおちゃらけ専門の個人ブログを独立させたからか、総数ではともかく、ずっと1万人を切るようになってしまった。

因みに、例のウチダのタツル君のブログだが、公称(自称?)1日1万人とはいっても Alexa によると1万人を超えるのは3か月に1日くらいで、私がコメントを置かなくなってからは1日たりとも1万人を超えてはいない(←おいおいおい、本当にお前のせいか?)。なお、この「はてな」のブログはAlexa ではみんな一緒に合わされてしまうので個別にはわからない。つまり、この分家も猫猫先生も一つにまとめられてしまうのである。まとめられた結果は、世界で470番目くらいらしい。要するに大したことはない。

さて、悩んでいた内容だが、それは田川建三先生のことだ。田川氏は年に数回しか更新しないサイトをお持ちで、コメントも受け付けることにはなっているが、大昔の方法で、本人に伝わっているかどうかおぼつかない。そこで、ここに書いてみるかと思ったのだが、すでにだいぶ書いてしまった。ブログを始めて気づいたが、あまり長いのは読んでもらえない。よく、「後で読む」などとされて捨て置かれることも知った。

大橋先生の面白くもない映画の話など好きでもない人は読むのが大変だろう。ところで大橋先生、「ストーメア」でも許してやらなきゃ、先生の「ピーターストレマーレ」だって、「ピーテルストルマーレ」じゃないかって言い出す人がいますよ。ヴァンゴッホがヴァンゴーになるように英米人は彼らの流儀で読むのです。因みに原語の発音はここの初めにある名前をクリックオンしてください。Windows Media Player に繋げると聞けます。かなり早口ですが。)

だから、続きは本家で書こう。ただし、教会から帰ってからになる。それまで何か彼について知りたければ、Bart D. Ehrman 博士と田川博士を一まとめて書いた過去記事があるのでどうぞ。ただし、どちらも英文です。(←新記事を書き上げましたので、これをクリックオンすると初めに今日書いた日本語の記事が出ます。その後に英語の記事、2つが続きます。つまり、計3本の記事が出てきます。)

追加:やっと教会から戻り、田川について本家に書いた。そこにも書いたことだが、今回大学図書館から借りた田川の本は、1991年夏、すなわち猫猫先生がUBCにいるときに、ILL(図書館相互貸借)でカリフォルニアのUCLAからカナダ・ブリティッシュコロンビアのUBCに貸し出されていた。借りたのは、しかし、猫猫先生ではない(でしょうね)。しかし、まあ、何で貸出記録がわかるようになっているんだ。歴史家としてはそういうのが面白いのではあるが。

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いやはやあきれた天木直人とかいうイラク戦争に反対して外務省を首になったと主張しているらしい人物で、イスラム国を渡り歩いているうちにやたらにパレスチナに入れ込んでユダヤ大嫌いの人間が、タツル君の本からこんな箇所を引用して、私が『他者と死者』について書いたような文句を言っていた。『「これは私家版とあるように、私個人の知的関心に限定して書かれたユダヤ人論である。ユダヤについて中立的で正確な知識を得たいと思う人は、この本をそのまま書棚に戻されて、より一般的な入門書を手に取られた方がよい」と。そんな事を言われてももう買ってしまったのだ。』いやはやあきれた。もうペテン師タツル君の本は買わないからいいが、多分そんなことだろうと思った。

以前にコメントをくださった芸術家あんとに庵さんがご自分のブログでとらえどころのないタツル君と書いていたが、田川先生の「私自身はどちらかというと一つ一つの事柄にはらまれる論理の幅をなるべくすべてていねいに解きほぐして論じたてようとするスタイルの方が好きである」という誠実さの少しでもあればなと思う。今もブログで、勝手なホロコースト論と他人と死者という空論を展開し、さまざまな雑誌にも書くそうだが、ホロコーストの死者への冒涜も甚だしい。今にあきれられあきられて、「なんだただの遊び人の妄言か」と、一斉に世間のしっぺ返しが彼に襲いかかりそうでハラハラする。