Comments by Dr Marks

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Dr. Marks のまだ題のない小説(その12)

DrMarks2008-01-16


私はもちろん岡本理学士のモデル(岡田武松)に会ってはいない。しかし、意図したわけではなく最後の気象台長にして最初の気象庁長官和達清夫には会っている。何度か偶然古書店で一緒になっただけだが、そのとき私は岡田武松のことは意識になく、詳しく聞けなかったことが今になっては残念だ。私が最初にそれとわかったので、言葉は交わしたはずなのに。こちらは紅顔の(厚顔の?)科学大好き美少年(?!)、あちらは気さくな好々爺だった。優しい人だったなー。

和達は、岡田が文化勲章を貰った頃に最後の気象台長になった。一高、帝大の先輩後輩でもある岡田と和達は一緒に仕事をしている。私が和達に会ったのは、岡田のように和達自身が文化勲章を受章する前であった。(繰り返すが、岡本捨松は岡田武松ではない。読者ならびにご遺族の方は、どうかその点をご理解くださいますように。)

青山学院創設の3人の宣教師のうち、2人はDr. Marks の拡張散歩道と言ってもいいくらいな近くに墓所がある。最も有名で最も初期に来日したのはドーラ・スクーンメーカー女史だ。この人の墓も少し郊外ではあるが同じロスアンジェルス(LA)にある。LAの墓所も、人口が増えると同時に、東京の墓所のように次第に郊外に造られていった。この物語の主人公(本名を知る人はほとんどいまい)は、青山の墓地に眠っている。スクーンメーカーの墓所も、ちょうど日本の青山墓地のような所である。この墓所には、日本人はあまりいない。日本人の多くいるLAの古い墓所は、ちょうど東京で言えば多磨霊園のような所で、後から造られた。

(きゃほー、写真は現在のウェルズリー・カレッジの学生たち、もちろん皆、お・ん・な! ここに今、娘を入れると、親としては日本円で1年最低5百万円大学に支払う。娘の小遣いは別だぜ。だから、文句なしのおぜうさま学校。卒業後は自らアイヴィーリーグの大学院に進むか、アイヴィーリーグ出の旦那を捕まえる。美人が多い。しかし、後に、ヒラリー・クリントンみたいになるので要注意!)

All actual historical characters, if you think so, are set in fictitious situations by the author’s imagination. Please do not confuse fictitious characters with real persons.

 麗しき肌の下の残忍なる血潮(brutal blood under the beautiful skin)とは至言。麗しき肌に迷う者も麗しき肌で迷わせる者も、考えてみればどちらにも罪はない。人性の内に隠れたる残忍な血潮そのものが、自らその醜悪な有様を厭い忌み嫌い、隠蔽せんとして皮を被る。おぞましき鮮血に満ちれば満ちるほど、皮膚の色は桃色に輝きわたるが、人間が意図してできることではない。意図してできることではないから、その皮膚の色に惹かれる者も、意識したとて逃げ切ることはできない。
 かくして、迷う者も迷わす者も、一蓮托生の定めとなって、極楽浄土に往生しているのか、はたまた阿鼻地獄に叫喚しているのか、判然としなくなって、その判然としない懸垂の重みによって苦しむことになる。極楽浄土であれば更によし、またたとえ阿鼻叫喚の無間地獄であろうと、判然とするものならば苦もまた楽し。しかるに、一陣の風に振るわされ、一条の光に心躍らされて、一片の雲を眺むれば、形状自在、蒼き底なき天空に、行方も定まらずに吸い込まれる恐怖だけが四六時中襲うことになる。


 私はともかくも講義に明け暮れる日々となってから、妻は所在なげであった。帰国してしばらくは、近所の青山学院に出かけ宣教師や英語のできる日本人との付き合いをしていたが、アンの家族や親類はユダヤ教からの改宗ルター派ユダヤ教の改革派であるため、美以(メソジスト)教会特有の熱心な信仰が日常の中にも染み込んだような雰囲気に馴染めず、青山から去り、銀座教会に申し訳程度に参列するようになっていた。したがって、日曜日はともかく、私が講義する曜日には一人家にて読書するか本国に手紙を書くか家事に精出すより術がなかったのである。
 そのように日々が過ぎ、年の瀬も迫った頃、岡本理学士から葉書が来た。退職して以来、彼は陸大の構内はもちろんこの陸大官舎にも姿は見せなかった。一切の連絡は郵便であったが、岡本は妻を気遣い、必ず英文でしたためていた。些細なことではあったが、彼の心遣いには大いに感謝したし、何よりも私に来る日本人からの手紙で彼女が読める唯一のものであったから、アンがいつも喜ぶのを見て私まで嬉しかった。
 その日も、見慣れた流麗なペンマンシップ(penmanship)の葉書が届いたので妻は小躍りして喜んだ。ちょうど私は午後に講義がなく、少々風邪気味なことを理由に、控え所に挨拶してから早目に官舎に戻っていたときだった。


「きっと、オカモトさんよ」
「うん、間違いない。久しぶりだね」
「あら、今週の土曜の昼に元衛町の気象台に来てくださいと書いてあるわ。元衛町というのはどこなのかしら」
「ああ、麹町区麹町区だが、お城の向こう側だ。二人乗りしても片道30銭くらいの所だね」
「昼ならば、久しぶりに食事でもしようというのかね。他には何か書いてあるのだろうか」
「それ以外のことは何も書いていないわ」
「ともかく会えばいいのさ」
「そうね、楽しみだわ」


 12月に入って、救世軍がクリスマスを祝って貧民児童に手を差し伸べていることが報道されてから、クリスチャンにあらざる日本人も、何かというと「クリスマス、クリスマス」と言うようになった。そういえば、美土代町の兄が、末の娘が近くにある救世軍で遊んでいるうちにヤソになってしまったと嘆いていたが、近時の救世軍のよい評判のためなのか、末娘の可愛さがそうさせるのか、口ほどでもない様子はすぐにわかった。


「メリークリスマス!」と、会うなり岡本理学士は声を掛けた。確かに、来週はクリスマスだが思いがけない挨拶だった。
「いや、キリスト教徒ではありませんが、挨拶はいいのですね」
「もちろんです、岡本さん、メリークリスマス!」
「本当は近くの公園の西洋食堂で会うつもりでしたが、その前に内密な話があるものですから、ここにおいでいただいたのです。西洋食堂には後で行きましょう」
「内密な話といいますと」
「実は前々から探していた、文部省下の学校の話です」
「ああ、ありましたか」
「帝大を当たったのですが、生憎今は空きがありません。しかし、茗荷谷の高等師範で来年の4月から来て欲しいと言っているのですが…。これは、もちろん気象台長が探してくださったものです」


 当たり前だ。私のような私学の出が、帝大で講義などできるものか。よしんばできたとしても、針の筵に座り続けるのは御免である。
「あなた、高梨さんが学んでいる学校でしょう」
「そうだね」と、ともかく東京の学校なので、私も乗り気になった。岡本理学士は続けて、
「数学や物理学の講義をしていただいてももちろん構いませんが、気象学や海洋学の講義をぜひお願いします」
「それは、まことにありがたい」
「では、決まりでよいでしょうか。陸大には3月退職の願いを早目にだしてください。年明けにも高師の宿舎は空きがあるのかどうか掛け合ってみますが、西片町の辺りには学者向けの借家がありますので、少しご自分で当たってみるのもいいかもしれません」


 岡本理学士には何から何まで世話になった。彼自身は、今、大衆向けの気象の話を執筆しているらしく、陸大の時とは打って変わって明るくなり、快活であった。
「オカモトさん、レミントン・デリンジャーは?」
「奥様、からかわないでください。あれほどびくびくしていたのが嘘のようです。今は自宅の金庫の中に放り込んであります」


 私たちはエビスビールを少し飲んでいたせいもあるが、心はうきうきしていた。
「この9月に、大阪麦酒と札幌麦酒、それにこの恵比寿が合同して大日本麦酒になったそうです」と岡本理学士が説明した。
「すると、銘柄も一つになるのでしょうか。注文するのが楽になるというか、選択の余地がなくなって面白くなくなるとか」
「いや、経営統合で、各ビールはそのまま存続するようなことを、新聞が言っていました」
「何もかも、お国のために大同団結、お国のための繁栄ということでしょうか」
「そういえば、博士、サンフランシスコでは日本人排斥がますます酷くなったと先日の新聞にありましたが、どういうことでしょうか」
アメリカ全土の問題ではないでしょう。同じカリフォルニアでも、ロスアンジェルスはまだましなようですし」
「いずれにしろ、国が国がというのは了見の狭い話です」
 近頃50の坂を越えられた青山のドーラ・スクーンメーカー(Dora E. Schoonmaker)女史などは、カリフォルニアで引退したいと思ったがサンフランシスコでなく温かいロスアンジェルスのほうがいいと言っていた。気候だけの話ではあるまい。


 別れ際に、岡本理学士は、アンをじっと見ながら、
「奥様も学校で教えてはいかがですか」と言った。
「はい、青山でも誘われたのですが、どうもミッションスクールは馴染めません」
「ミッションスクールではありません。この公園の北側、霞ヶ関に海城中学というのができました。もともと海軍兵学校への予備校でしたが、近頃は方針を変えて尋常の高等学校への進学を生徒に勧めるとのことです」
「アン、それは面白そうじゃないか。兵士を作る学校ではないというのがいいと思うが」
「いいえ、博士、まだまだ海軍を目指す者は多いのですが、徐々に高等学校から帝大に進む若者を育てたいということのようです」と、岡本理学士は律儀に付け足した。
「あなた、それならなおさら結構よ。新しいところは好きだわ」
「じゃ、これも決まりですね。早速、校長の古賀翁に話します。喜びますよ。実は、海軍の藤井さん、あの藤井大佐が、古賀翁から誰か学識のある異人さんをといって頼まれていたのですよ」
「あら、私が学識?」
「ええ、奥様があのウェルズリー・カレッジ(Wellesley College)で優等であったことは博士から聞き及んでいます」
「いつの間に、あなた!」


 ともかくも新しい期待で降誕祭を迎え、新年を迎えることとなった。辞表を提出したら、陸大の反応も存外にあっけなく、まるで期待しておりましたという按配で、むしろそれからのほうが妻と私に対する態度が好転したようなものであった。厄介払いということであろう。ただ、岡本理学士の苦悩については、まだ微塵も予期せぬことであった。