Comments by Dr Marks

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カトリック信徒だからカトリックと文化と題するような本の書評ができるとは限らないことについてのコメント

村上陽一郎が書評をしていたのを毎日新聞(2008.5.11)で読んだ。ほとんどは本の内容に触れていない不思議な書評で、頼む相手が間違っていたような書評だ。あんなことで、それでは読んでみようと思う人がいるのかどうか疑問であるが、村上氏が悪いというより、彼なんかに頼んだ人が悪いのよ。

よくわかった人でもカトリックのクリスチャンをカトリック「教徒」と書いているのはおかしい。カトリック「信徒」ではないかとおっしゃるが、日本語の信徒にはlaity の意味があるので、それを避けるために教徒と言ってもおかしくない。旧教徒(カトリック教徒、カトリック信者)、新教徒(プロテスタント教徒、プロテスタント信者)というのであって、不都合は何もない。

村上氏が、カトリックは偏狭な信仰を持っているのではない、と書いているのはいいと思う。長らくいろいろなキリスト教の教団教派を見てきた者としては、歴史的にも現状においても、カトリックの幅の広さと懐の深さには舌を巻いている。(私は、村上氏のようにカトリックの信者ではないが、素直にそう感じている。)

しかしまあ、できもしない書評を頼まれたら、断るか、もう少し時間をかけて丁寧な書評をするべきだよ。あんなんじゃ、キリスト教徒は馬鹿にされるね。東大で教えていたのはいい加減ではないのでしょうから、私が何と言ったって、彼は宗教や文化を語ることに本当に向いているんでしょうね、ナンチャッテ。

(東京にて―『文春』を買って読んでいて猫猫先生の先日(11日付)の靖国のブログの意味がわかった。コラムも読んだ。ここは東京だな〜。
そうだ、念のため。カトリックは村上氏の属するローマ・カトリックだけではない。自分のところだけカトリックと言ってもらっては困る。それこそ偏狭な考えだ。)