Comments by Dr Marks

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No. 16.

コメントにならないコメント−31 (ヴァメーシュの『イエスの復活』「新約聖書におけるイエス以外の人物の復活に関する説明」)

どうも誤解があるようなので付け足す。私が馬鹿だとか頭が悪いというときは、「心」が悪いというのとほとんど同じ意味であることが多い。たいていは知能のことではない。だいいち知能など人間そうは変わらん。下で頭の悪い牧師や司祭と書いたのも、信徒あるいは聴衆に対する思いやりのないことを言ったのである。最近も長時間自分の聖書講座に年寄りを縛り付けていた牧師が解雇されたと聞いたが当然だ。それは牧師や司祭の熱心さということではない。自分勝手なのだ。自分勝手がしたければ、私みたいにブログで書けばいい

また、初めに無関係なことですまないが、夕食時にオークションのテレビを見ていたら、何と証明書つき1902年製のコルト・ピースメーカーが出ていた。細部まで見せてくれたが保存状態も万全で、1万5千ドルの値がついていた。あれは、姿がいいんだなあ。

新約聖書には、よみがえりというと、イエス本人以外には、少なくとも5人いることになる。少なくともというのは、バプテスマのヨハネが生き返ったという噂などがあったが、いずれも噂は噂であったからだ。この噂には、マタイ伝27章51−53節の地震のあとの多数のよみがえりが含まれるだろう。いずれも、新約聖書にあって、詳細な5人のよみがえりほどの物語としての確かさはない。

もっとも、噂の中でのバプテスマのヨハネは別格で、イエスのようにエリヤやエレミアその他の預言者のよみがえりと考えられたり(マラキ書3:1、4:5参照)、ヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスの地元であるガリラヤでは、ヨハネが復活したとの噂が流布していたと、比較的詳細に述べられている。しかし、聖書記者たちはいずれも、彼がよみがえったとは書かなかった。

5人のうち、3人はイエスによってよみがえり、後の2人はペテロとパウロによってそれぞれよみがえったことになっている。実は、ペテロやパウロでなくても、メシア到来の時には、イザヤの言葉のように、めしいは目が開き足なえは歩き、死者はよみがえるのだから、弟子たるものなら奇蹟は可能であるが、さすがに死者のよみがえりは、イエス復活の後に、ペテロやパウロ級の使徒が可能であったにすぎないのだろう。

初めのよみがえりは、共観福音書に記されたシナゴーグの会堂司ヤイロの12歳になる娘だ。これは一般公開ではなく、関係者だけの立会いでのイエスの行った奇蹟であった。イエスが話していたと思われるアラム語で「タリタ・クム」すなわち「立ち上がりなさい」と言ったと伝えられていることだ。この言葉で臨場感をいや増す物語ではある。

二つ目は、ルカだけにある記事だが、ナインという町に住む、今度は男の子である。亡骸の入った棺に手を付き、同様に「立ち上がりなさい」と言うが、ヴァメーシュは、もし今回もアラム語で記すなら、男の子なので「タルヤ・クム」になっていただろうと言う。こちらは大勢の人の前で奇蹟が起こったので、町々にすぐ知れ渡った。

どちらのケースも、イエスが触れたり声を掛けるのはエリヤやエリシャを彷彿とさせる。(読者の中で、ティアナのアポロニウスをご存知の方は、同じじゃないかと言うかもしれない。そのとおりなのだ。)しかし、いずれも、その後どうなったのかについては、福音書は口をつぐんで語らない。多分、また死んだのだろうね。その意味では、復活というより、蘇生なのかもしれない。

三つ目のケースは、ヨハネ福音書にあるラザロの復活だが、この男は、今までのイエスとそれほど親しくない人たちのケースとは異なり、イエスと親しいベタニア村のマリアとマルタ姉妹の兄弟である。ここでは復活の奇蹟が、単なる奇蹟の一つとしてなされるのではなく、イエス自身が復活と命であり、マルタの告白のように「終わりの日の復活の時」という明確な終末観の中で行われた。

しかも、今回は死後4日という場面であり、死の直後に生き返らせたこととは根本的に異なっている。マルタは既に死体が臭うとまで言っている。更に、この明確な奇蹟の業はイエスの名声を知らしめたため、イエスのみならず、このラザロを(生きていられては復活の証人なので)殺してしまおうとの祭司長たちの陰謀まで出てくることとなった。

ペテロとパウロのよみがえりの話はいずれも使徒行伝の記事である。ヨッパ(ヤッファ)の町の「鹿」アラム語で「タビタ」、ギリシア語で「ドルカス」)と呼ばれる熱心な女性のキリスト信者はペテロによって生き返った(9章)。また、小アジアのトロアスでエウティコという若者パウロは生き返らした(20章)。この若者は、夜半まで続くパウロ先生の説教を聞いているうちに眠くなって二階から転落して死んだが、パウロがすぐに抱きかかえて命を与えたことになっている。

だいたいな、パウロ先生よ、長い説教はだめだよ。そういえば、読者諸君の教会にもいないかね。やたらに説教が長い奴。頭の悪い牧師や司祭に多いんだよね。しかも、少しでも聞いていないそぶりや疲れたそぶりを見せると、怒らないまでも機嫌が悪くなる説教者。ああ、嫌だ嫌だ、だから教会なんか行きたくねえよー

閑話休題。ペテロじいさんやパウロ先生ごときでも生き返らせるのがお茶の子さいさいの時代であった。ヴァメーシュじいさんも「すんばらしきメシア期待のオーラ」が飛び交う時代と書いちゃった。しかし、本当にこの時代のパレスチナユダヤ人は復活など信じていたのだろうか。ヴァメーシュじいさんは再びあの嫌な奴、ヨセフスの証言にすがる。

ある程度、というか時代的なものだな。といって、古代は迷信の時代などと思ってはならないが、今よりも「復活」が信じられていたことは間違いないであろう。ヨセフスもそうであったと証言している。ところが、ところがだよ、この爬虫類男自身はいつだって、ヴァメーシュが言うように日和見でね(sit on the fence)、(ユダヤの祭司でパリサイ派だから)信じてみたり、(ローマに身を寄せているわけだから)馬鹿にしてみたりするんだよ。

まあね、私ヨセフス様としては見聞きしたとおりに何でも述べているに過ぎないのであって、ご同意いただけなくとも、私は何も申しません。どうぞご随意にお受け取りくださいましな(『ユダヤ古代史』10.281)」なんて、嫌味な後書きをつけるんですよ。今日はここまで。