Comments by Dr Marks

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No. 22.

コメントにならないコメント−37(ヴァメーシュの『イエスの復活』「使徒行伝におけるイエスの復活」)


再びカラヴァジオの絵となってすまないが、Dr. Marks お気に入りの絵なんだ。若いパウロが倒れているだろ、見つめているのは年老いたパウロだよ、きっと。ヘンゲル(Martin Hengel)じいさんの『ダマスコとアンティケ間のパウロ(Paul between Damascus and Antioch)』という英独両語同時出版・両語正文という出版形態の本の表紙にも使われた。出版プロモーションの時に英文版を買ってヘンゲルじいさんにサインしてもらった。ヘンゲルじいさんはその後いろいろな役職から離れたが元気かな。あれはもう11年も前のことだ。へ〜、もー11年! ヘンゲルじいさんは情熱的で、ジジェクよりも下手な英語で一生懸命だったな。いい人だ。苦労人で面倒見もいいそうだし。


書くことが一杯あるというか、著作権侵犯すれすれの、ほとんど翻訳みたいになるので余計なことは言わずに、どんどん進めよう。以下、特別に断らなければ章番号はすべて使徒行伝からだからね。

肉体を伴う復活のみならず復活や永遠の命に関するエスの言葉というのを検討してみると、驚くほど少ないことがわかった。イエスにとっては、死後のことなど中心的な課題ではなかったと思えるほどである。しかし、イエスの目にとって、神の国の到来というのが差し迫っていたとすれば、現世と来世の区別など無意味であったのかもしれない。

復活というテーマが福音書記者にとって不可欠であったことは想像に難くない。イエスが死を死で終わりとせず、勝利の復活で幕を閉じるのでなければ、実際にその後の弟子たちの予期せぬ行動と艱難の甘受に結びつかない からである。しかし、その復活を記事にするのにあたり、困難を極めたはずである。それもそのはずで、ヨハネ伝の成立までには、70年から80年の歳月がイエスの死(復活)から流れていたのである。(最古のマルコ伝は、イエスの死から35年ないし40年。)

実は時間的なことを言えば、パウロの復活に関する書き物(書簡)のほうが、いずれの福音書よりも古いのである。(イエスの死後、約20年。)しかし、初期のイエスの弟子たちの意識や、エルサレムユダヤの地での活動を垣間見るには、使徒行伝の記録を忘れることはできない。むしろ、この使徒行伝こそ、初期のパレスチナにおけるユダヤキリスト教徒の原始形態を示唆している。

使徒行伝によって、パウロ入信以前のユダヤキリスト教徒から異邦人キリスト教徒へと拡大していく素朴な軌跡が見て取れる。具体的に言えば、1−12章はペテロを中心にした復活の意味が語られ、13−28章はパウロが参加してくる物語(歴史的記録)となってくる。

もし、教会の伝統が主張するように、使徒ルカがルカ伝と使徒行伝の双方に(著者としてあるいは資料提供者として)関わっているなら、どちらにも共通しているのが旧約聖書の復活の預言である。つまり、マルコ、マタイ、ヨハネ福音書以上に、ルカ伝や使徒行伝は旧約聖書の復活預言を強調し、イエス自身による予告以上に重視している。

使徒行伝におけるペテロの最初の演説は、ペンテコストの日のエルサレムにおけるものである。神による復活の預言が、ダビデの口から告げられる詩篇からのものだった。「あなたはわたしの魂を陰府(よみ)に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴をみさせず」(詩篇16:10、新改訳)。このイメージは、未来のメシア(油注がれし救世主)イエスが死ぬことなく父なる神の右の座におわす預言であったことになる(2章)。

更に、10章のローマの百人隊長コルネリウスの挿話は、復活の証人の使徒たちへの限定性を、聖霊の働きに基づく一般性への拡大の説明として有効になるが、たびたび登場するキーワードが「証人」あるいは「証人となる(証しする)」であることに注目したい。いずれも意味は、死者の中から神によって生かされた「命の創造者(Author of life)」イエスについての証人あるいは証しすることであった。

また、証人は神からの特別な力を受けていることであり、十二使徒ユダが欠けてからマティアが選出させることさえ、選びの証人への就任を意味していたのであるが、ペンテコストの出来事は、聖霊を受けた者すべてが証人になるという預言として使徒行伝では捉えられ、更にこの新しい宗教運動は拡大していくことになる(2章)。

ナザレのイエスの名によって、ペテロやヨハネは神殿にいたいざり(足なえ)を、かつてイエス自身が福音書でしたように治癒してしまうことは、まさに生きて働くイエスの新たな証であった。どのようにして復活したかの詳細は常に欠如するも、サンヘドリンにおいても復活のイエスを大胆に証しする姿は記録されているし(4章)、人間である大祭司の命令ではなくイエスを復活させた神に従うのだと信仰告白する(5章)。これらは、初期の使徒たちの証であるが、前述のローマ軍百人隊長コルネリウスとその身内は異邦人なのに、復活のイエスを証しするうちに聖霊が彼らにも下り、異言(通常の人間の言語とは異なる言葉)を語り神を賛美することになる。(10章)。

使徒行伝の記者は、復活のメシアと言われたとしても、もはや目に見えるのではない限り、イエスの復活を示すために、種々の文脈の中で象徴的に再現せざるをえなかった。イエスは天上にあって聖霊を降り注ぐ源であり、信じる者に特別の恵である力となって出現するものとして表現された。

しかし、使徒行伝の復活物語は、3回にわたって登場するパウロの復活体験を抜きにしては語れない。これらの記事こそ次に検討するパウロ書簡での復活のイエス体験と符合するからである。実際パウロにとって、エスの死と復活を信じることこそ信仰の根幹であった。

パウロは、自身がサンヘドリンで窮地に陥ったとき、議会が復活を信じないサドカイ派と信じるパリサイ派によって構成されているのを見て取ると、そのことを巧みに利用し、「我はパリサイ人なり」とやって、パリサイ派を味方につけてしまうこともあったが主張点はあくまでもイエスの復活であった(23章)。更に、ローマの在ユダヤ総督フェリクスに審問されたときも(24章)、ユダヤの王アグリッパ2世の前でも(26章)、復活のイエスに望みを置くゆえの糾弾であると自身を証しする。

しかし、この望みは信じる者すべてに適用される復活の望み、すなわち総復活(general resurrection)のFinal Eventへと繋がっていく。かくして、初期の弟子たちの話から始まり、使徒行伝はパウロという重要人物のダマスコ(シリアのダマスカス)途上の個人的復活のイエス体験を通してキリスト教が育ってゆくことになる。

(どうも古いんだよなぁ、この見方。耄碌じいさんかなぁ、終わりまで、ともかく紹介するわ。そろそろ、嗚呼しんど。冗談も出さずに書きまくった。)