Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

加賀乙彦は天皇を神格化しないほど優秀な少年だったか?(というのは、ダシにして彼の弟のことなど)[追加あり]

猫猫ブログの「方法と方法論」というところの(因みに、小谷野先生おっしゃるとおりで、method は実際のやり方や道筋であり methodology とはそれに関する議論や態度のこと)二段目に、加賀乙彦のような「優等生」が、いかに幼年時代であったとしても天皇を神だなどとは思っていまいという議論の紹介がある。私個人は、ひょっとして「思っていたのではないか」というほうに賭ける。

しかし、加賀乙彦、すなわち本名「小木貞孝」という精神科の医師が優等生であったことは、彼の実弟である小木和孝を見てみれば想像に難くない。貞孝すなわち加賀乙彦には会ったことはないが、弟の和孝には十数回会ったと思う。兄弟揃って東大医学部の出身で、和孝は公衆衛生学の専門家(とくに労働者の健康問題)として当時国際公務員だった。(私の甥の一人も青少年の健康を専門とする公衆衛生学者だが州の公務員だ。この分野で学位を取ると、どこかの政府機関で仕事をする場合も多い。)

たまたま和孝が主宰する専門誌の関係で私は経済的に彼を支援する立場の役職にいた。(私個人に金があったのでなく、私の組織に金があったのだから誤解のないように。)集まりがあり、打ち合わせをしていたら、彼が出席者20名弱の全員の電話番号を正確にすべて暗記していたのには驚いた。意識して暗記したのか自然なのか。多分、自然だ。彼は明朗で語学が達者で(少なくとも英仏は自由だったと思う)非常な好人物であったが、記憶力のみならず判断力、統率力も立派で、学問的業績もよかったから、密かに何て凄い人だと思っていた。(今より)若い私の憧れの人物だった。

この人の兄なら加賀も優等生であったことは確かだろう。しかし、幼年時代天皇をナイーヴに神と思っていても不思議はないと考える。そういったマインドの扱いから加賀は精神に興味を持ったのではないだろうか。彼の死刑囚への関心は宗教的な動機もあるのだろうが、メルロポンティの哲学への関心などは、マインドを巡る宗教以前の知的関心のように思える。

だけど、天皇って何だろう。シンボルって何だろう。基本的人権もないんだよね。可愛そうに。GHQがやらかした非人道的な誤りの一つだな。天皇制なんて止めちまえば。憲法改正して真の民主主義を、ナンチャッテ。