Comments by Dr Marks

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ちょっとメモ再び:遺伝するかしないか、知能、体質、性格、文才なんてね

文才なんて遺伝しない。知能と体質は遺伝するが、性格が遺伝しないのと同じだ。反対に、学習によって多少の思考能力の涵養は可能だが、知能は遺伝だからどうしようもない。(頭が悪い者は頭が悪い。ちょっと頑張ってみて、頭がいい人たちの群れに何度か入ってみた私自身の経験では、私はいくらあがいても頭がいい人には遺伝的にかなわないことを、そのつど思い知らされたものだ。もちろん、時間を余計に掛けたりすれば、一応、頭が悪い人もいい人同様の仕事はできるのだよ。しかし、その速さと質の高さはどうしようもない。)

猫猫先生のところで文才の遺伝の話があったので、日本語で「文才は遺伝するか」とグーグルで入れたら、finalventさんのtwitterが出てきたのでびっくり。しかし、文才など遺伝するわけがない。性格が遺伝しないのと全く同じ理屈だ。

一卵性双生児の研究でも明らかなように、性格は後天性であり、生い立ちの偶然性によって決まる。しかも、それは複雑で、苛められて育つから苛めっ子になるかというとそうでもなく、逆の場合もある。いずれにしろ、遺伝の証拠はない。(一部の精神病の遺伝は、性格の遺伝ではない。)

話を文才に戻せば、文才が創造性(想像力)やストーリーテリング能力を指すか、語学習得能力(母語の習得能力も含む)と論理能力を指すかでも違うが、後者の場合は多分に知能と関係するので、その場合は遺伝していると言えなくもない。(つまり、知能の高いものは、それなりの文章能力があるはずだ。)

むしろ、親子関係や一族関連で問題となるのは、文学的嗜好(環境)の有無や金持ちか貧乏かだ。金持ちで知的環境も申し分なければ、そうでない場合よりも、高頻度で文才に長けた者が出てもおかしくはない。その際は、たとい理科系に進む者が出ても、文才は発揮される。文系に進むか理科系に進むかは、もともと物事に対する好悪の感情や性格と一緒で、遺伝するものではないからだ。ほら日本の首相だって、弟は文系なのに自分は理系だろう。

なんだ、それでは文才自体は遺伝ではないか、などと勘違いしてもらっては困る。文才は、やはり形質的な遺伝ではなく、生まれた家の(あるいは育った家の)伝統(環境)なのかもしれない。