Comments by Dr Marks

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No. 4.

「共観福音書問題」(第4講)Q資料どころか共観福音書問題まで根こそぎひっくり返したブルトマンの愛弟子イータ女史の反乱(Dr. Eta Linnemann)

私は第1講で、共観福音書問題の学問的意義を述べた。この問題解決次第によっては、聖書解釈も、史的イエス問題も、キリスト教の起源も、何もかも左右される。私自身も大事な研究領域であると確信している。ただし、冗談めかして偽新約学者と自称しているように、私自身はこの領域に入り込めるほどの関心も力量もない。今まで講義題目としたこともない。むしろ、このブログのシリーズがある程度進行して、15週くらいのコマが割れたら、学部レベルでの講義レパートリーに入れようかと助平心を出している程度なのだ。

リンネマン博士と私は、面識がなかったことを今になって悔んでいる。実は私は、博士論文を準備していた2000年前後に、マルコ伝16章(私の専門分野の一つ)に関する彼女の古い論文(1969年の論文)を読んで以来、ブルトマンの腰ぎんちゃくの出鱈目女め、と思い、彼女の名を出版リストで見ても無関心だった。ところが今になって、彼女はリンネマンを漢字にして輪廻満(寒いかな)とでも書いたほうがいいほど、学問的傾向をドラスティカリーに変換し、生活さえ変えていたことを知った。つまり、彼女はブルトマンの死後、アンチ・ブルトマン聖書学者・神学者として活動することになっていたのだ。

近年は彼女が晩年になって精力的に書いた本が英語にも訳されており、(実は図書館にもあったのだが)無関心で読んでもいなかった。今手許にあるのは専門誌の論文だけなので、もう一度(いずれ)彼女の考えについて書き直すかもしれない。しかし、簡単に言えば、彼女は共観福音書問題そのもの(言い換えれば、資料批判そのもの)を否定する。書かれたもので議論するのが資料批判であるが(このブログの第2講参照)、その前の口伝などのほうが本当に大事なものであり、書かれたものに仮説をもって系統立てるのは、歴史批判という「化け物」の方法論によるデマであると主張する。

あの昔のマルコ伝16章に関する論文(本来のマルコ伝の終結部分はマタイ伝28:16−17とマルコ伝16:15−20であるとする珍説)に感じるような異様さはあるが、その後の教職で鍛えた知識と実際にブルトマンおよびその亜流の真っ只中にいたことからくる妙な説得力もある。しかし、今は、彼女の議論を詳細に吟味するためには、資料批判を超えたレベルでの伝承批判が絡まってくるので、もう少し講が進んでから改めて彼女に耳を貸すことにしよう。今回は、我々が学んでいる共観福音書問題そのものを疑問視する考えも現実にあるということを知ったことで、とりあえず満足することにしたい。(私自身、読まなければならない彼女の著作が他にある。)

この記事を書くために、彼女の近況を調べていた。彼女は、初めはブラウンシュヴァイク師範学校で教えたり、ブルトマンの世話でマールブルク大学で教えていたことは知っていた。しかし、小谷野先生のTwitter書物奉行さんのブログで著者の生年の記入が話題になっていたが、彼女の著作には一切生年が記されていないため、私は彼女の正確な歳さえ知らなかった。今日の午後、また夕食とテレビドラマなどを鑑賞している合間に、ドイツ語のサイトを検索していたところ(英語では生年を知りえなかったし、どのようなお顔なのかも知ることができなかった)、なんと昨年の5月9日に亡くなっているという記事を見つけてしまった。

おばあちゃんで髭が生えているのがご愛嬌だが、とてもいい顔をなさっている。あやかりたいものだ。彼女は、1926年に北ドイツのオスナブリュックで生まれ、2009年に82歳で生まれ故郷に近いリールで亡くなった。60歳からはインドネシアの大学で教えたそうだ。別のアメリカのサイトでは、アメリカの大学でも教えたという情報もあった。死亡記事はドイツ語だが、写真だけでも見てほしい。http://www.idea.de/index.php?id=1507&tx_ttnews%5Btt_news%5D=75162&cHash=d42c63e94f