Comments by Dr Marks

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過ぎ越しの祭の前のイーディッシュ文学のおすそ分け(短編を日本語訳して大サービス)「僕は父なし子だからラッキー」前編

短編だがブログだから前半後半にわける。いやー、いろいろなごまかしでブログを休みなく続けている。もう連続220夜近いだろう。自分でもよくわからない。今度は翻訳小説でサービスだ。かつて書き下ろし小説を始めたが、事情があって未完である。まあ、才能もないから仕方がない。しかし、翻訳となると他人のふんどしで勝負だから楽だ。ただし、私は今まで小説の翻訳はしたことがない。ちょっと食後のレクリエーション。

作品はイーディッシュ文学の泰斗、ショローム・アレイヘムの短編だ。なお、彼の名を正統へブル語読みでシャロームと書く人もいるが、正しくはない。イーディッシュまたは東欧へブル語の発音は正統へブル語とは違うのだ。今回の作品名は訳して「僕は父なし子だからラッキー」。少年少女文学のように見えるが大人用だ。(もっとも言葉遣いによっては少年少女向けにもなる。)底本はカズィン編ランダムハウス版の『ショローム・アレイヘム選集』。英訳からの重訳になるが、不明なところは仏語訳などを参照している。ただ、今回の作品はポルトガル語訳を参照した。なお、『選集』の英訳者は全部で4人いるが、この作品の英訳者はブットゥン兄弟。

この物語は4話に別れている。2話ずつ紹介する。舞台はウクライナユダヤ人村、時代は19世紀中頃以降。明治の頃と思っていい。主人公はモットゥエル(ローマ字で書くとモーテルMotelとなってしまうがモットゥエル)という父親を亡くしたばかりの、多分、バルミツバ(13歳)前の少年。母と兄がいる。

注意:本ブログは原則として著作権フリーだが、これは違う。無断転載お断り。なぜなら、私はいいのだが、第三者が絡んでいるので読んで楽しむだけにしてください。私に迷惑がかかります。

「僕は父なし子だからラッキー」前編

生涯の中でこれほど恵まれた状況はない。どうしてと聞くのかい。先導唱題師のペイシは知ってるね。シナゴーグの祈祷で真っ先に声張り上げてたペイシは僕の父ちゃんだよ。七週祭の最初の日に死んじまって僕は父なし子になった。

だから、その七週祭の最初の日から兄貴と一緒に一年間続くカデーシュを唱えるようになった。死者のための鎮魂ってやつだ。どうやって唱えるかを教えてくれたのは兄のエリフだ。エリフは信仰深いには違いないが、教師としてはだめだ。短気な奴ですぐに僕をたたく。兄は祈祷書を手に取ると、うん、それは七週祭の後なんだが、僕のかたわらに座って祈祷の言葉を教え始めるんだ。「イエシガダール・ヴィイスカダーシュ・シュメイ・ラボー(偉大なる聖なる御名に栄光あれ)」。しかし、兄はそれをすぐさま暗記してほしかったようだ。兄は僕と一緒に初めから終りまで次々にそれを唱えてから、今度は僕一人で唱えてみろと言う。やってみたよ。だけど、うまくいかん。

初めの数行なら悪くはない。しかし、その続きになると、いつもつかえてしまってだめだ。つかえるたんびに兄はひじでこづいてくる。しかも、心ここにないからだなどと言い(そんなこと、どうしてわかるんだと思うが)、きっと子牛のこと考えてたな(えっ、やっぱり、わかるのか)などとも言う。しかし、兄はこりない奴なんだ。もう一回初めから教え込もうとするからやりきれない。僕は鮮やかなスタートを切る。だが、まただ。しばらく行ったところでつっかえる。言葉が出て来ない。すると兄貴は僕の耳をつかんでどなる。「親父が墓穴から今の今にも起き上がってきたら、お前のような馬鹿息子を見て・・・」と兄が言い終わらないうちに、
「へん、そしたら、カデーシュなんか唱えなくてもいいわけだ」と僕はまぜっかえす。
お陰で僕はとっておきの平手打ちを頬に食らうことになった。騒ぎを聞きつけた母ちゃんが泣き叫んで兄に言った。「ああ、神共にあれ。お前は何をしているの。誰をたたいているの。この子は、父なし子だということを忘れちゃいけないよ。」

それから僕は、父ちゃんが寝ていたところで、母ちゃんと一緒に寝ることになった。唯一、わが家の中で家具らしい家具であるベットだよ。母ちゃんは自分の分の毛布も僕の上にかけてくれた。
母ちゃんはやさしく言った。「ちゃんと毛布にくるまっておやすみ、私のかわいそうなチビちゃん。せめて眠っておくれ、今何か食べさせてあげるものはないからね。」
僕は毛布をかぶったが、眠れなかった。一人で頭の中でカデーシュを繰り返していた。
この頃は村の律法学校に通うことも免除された。勉強など何もしなくていいのだ。カデーシュだけで、祈りさえしないし、合唱隊で歌うことさえしなくてもよかった。

そんなわけで、僕は父なし子だからラッキーだった。

僕は努力したかいがあった。今ではカデーシュ全部を空で言える。一言も漏れはない。シナゴーグではベンチから立ち上がると、よどみなくカデーシュを詠唱する。僕はいい声で歌えるんだ。親父ゆずりってやつさ。立派なボーイ・ソプラノ。僕の周りに立つ少年らは、みな僕をねたんだ。僕のカデーシュを聞いて、女たちは涙ぐむ。男たちの中には、僕に一コペイカ恵んでくれる者もいた。村の金持ちヨッシの息子で、スガメ(斜視)のヘンニッヒは(生来とても焼きもち焼きだから)僕の目の前に立って舌を突き出したりする。奴さん、熱心に、いらいらしながら、死ぬほど本気で僕を笑わそうとする。しかし、どっこい奴さんには悪いが、僕は決して笑わない。あるとき、シナゴーグ堂守のアーロンが、そんなことをしているヘンニッヒに気づいて、彼の耳を引っつかんで戸口に連れ出し、会堂から追い出した。ざまあみろ!

朝な夕なにカデーシュを唱えなければならないので、僕はもうヒルシベールの音楽学校に行かなくていいし、ドブツィーをいつも連れ歩く必要もない。僕は自由なんだ。釣りをしたり泳いだり、一日中川で過ごした。そこで僕は魚を捕まえるのにいい手を考えついたんだ。よかったら、教えてやるよ。まず、シャツを脱ぐ。次に、そで口をしばる。そして、首まで水につかって、ゆっくりと川を歩くんだ。長い長い時間歩き続けなければならない。だんだんシャツが重く感じられるようになったら、いっぱいになった印だ。そうなったら、できるだけ素早く水から出て、水草や泥を振り落として、その中を注意深く探すんだ。水草の中にはときたま小さなオタマジャクシがいるかもしれない。こいつらは、すぐに川に戻してやりな。死なしたんではかわいそうだ。厚い泥の中にはヒルがいることがある。こいつらは金になる。十匹もいたら三グローシェン、つまり一コペイカと半分だ。簡単な仕事じゃないが、ただ遊んでばかりでも仕方ないだろう。・・・何っ、魚はどうしたって。魚なんか探しても無駄だね。昔はいたんだが、今頃は魚なんかいやしない。だから、そんなことはどうでもいい。ヒルが見つかるだけで十分さ。それだっていつも捕まえられるとは限らないんだ。この夏なんか、一匹も取れなかったんだから。

どうしてエリフ兄さんは、僕が魚釣りに出かけていたのに気づいたのか、わからない。兄は僕を取っ捕まえて、耳をほとんどちぎれんばかりに引っ張った。そうしているのを、隣人のデブのペッシーおばさんが見つけてくれたのは幸運だった。人の母として、たとえ自分の子供でも、そこまでかばえるものではない。
「こらっ、父なし子をそんなふうに扱っていいのか」と彼女はどなった。
兄のエリフは恥いって僕の耳を離した。この頃は、誰もが僕の味方だった。

そんなわけで、僕は父なし子だからラッキーだった。