Comments by Dr Marks

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ユダヤ教への改宗について(現代の一般的な意味とイスラエル国籍法上の改宗)

まるくす博士は近頃イーッディッシュ語の本をよく借り出す。イーディッシュ語であって、ユダヤ教の本を借り出しているわけではない。必要があってやっているわけだが、一つには共観福音書関係の勉強ができないからだ。(私が欲しい共観福音書関連の本を某教授がごっそり借り出している。半年から1年は返ってこない。)するとカウンターで「ほう、ユダヤ教に改宗ですか」などと茶化される。

それで改宗について簡単にメモして今日はごまかすことにする。改宗、改宗といっても、歴史的・地域的な事情はさまざまなので、現代の改宗について述べる。イスラエル以外での、例えば私のいるアメリカでのユダヤ教への改宗と、イスラエルにおいて国籍取得に関わる改宗とでは事情が大きく異なる。

もちろん国籍取得やイスラエルユダヤ人との結婚に関わる改宗のほうが難しい。現在は、基本的には国外での改宗は無効と考えて、イスラエル国内で手続きしたほうがいいだろう。もっとも、そんな人は日本でもアメリカでも稀であろうが。ただ、アメリカならアメリカの正統派シナゴーグアメリカでの改宗後一定の間ユダヤ教徒の生活をした人なら問題はないであろう。

今、正統派(Orthodox)と言ったが、本来はユダヤ教に正統派も何もない。ところがドイツ・アシュケナージの進歩派の流れが19世紀になって改革派(Reform、別名進歩派 Progressiveユダヤ教となり、従来の律法(具体的には613の掟)を合理的に解釈し、文字通りに励行しない一派が現れた。この宗派は米国の中で優勢となった。20世紀に入る頃になると、この人たちの中には子女をキリスト教主義の学校に送る者も多くなった。

その反動として保守派(Conservative)が台頭した。始まりは同じく19世紀である。簡単な特徴は二つ。改革派のように律法と伝統的な行事を捨てることはしない。しかし、正統派とは違って社会の進展と伝統とのある程度の調和は容認する。すなわち正統派と改革派の中間であるが、アメリカにおいては良識派として、有力な神学大学や神学部がこの保守派に属している。三派の違いについてはいずれまた詳しく。

上述のごとく、イスラエルにおいて条件が厳しくなる理由として、宗務庁(ラビ長府、Chief Rabbinate)の存在が上げられる。ラビ長はアシュケナージ系とセファラディ系がいるが(ミズラヒ系はなし)、いずれも正統派であるため、改革派や保守派はおろか、正統派と称する外国のラビの資格も、彼らが認定しない限り、その下での改宗は疑問視されるわけである。

ところが、イスラエルの宗務庁はもちろん、アメリカなどの外国在住の正統派が「改宗」という場合は、母親のユダヤ教民族などの ethnicity(民族的背景)が出生証明書などで確認される限り、ユダヤ教への「改宗」儀礼などは必要とされない。それまでユダヤ教などないがしろにした不信仰な者であっても、たとえ熱心なキリスト教徒やイスラム教徒であったとしても、原則として生まれながらのユダヤ教徒とみなされるため「改宗」とはならないのだ。ところが逆に、改革派や保守派においては、例えば、母親がユダヤ人で歴としたユダヤ教徒であっても、本人がキリスト教徒であったりすれば、各宗派のそれぞれが定める儀式を行う。不思議だがそうだ。

ユダヤ教はそもそもキリスト教イスラム教のように改宗者獲得に熱心ではない。ラビによっては改宗は本来あってはならず、生まれながらのユダヤ教徒しか認めない者もいる。例えば、ラビ・ヘルボなどは改宗者などは健康な皮膚(本来のユダヤ人)にできたカサブタ(改宗者)のようなものだと、改宗者を嫌っている。また、古代から中世を経て近世まで、キリスト教徒がユダヤ教徒になった場合の迫害のほうが生まれながらのユダヤ教徒より厳しいために、改宗を思いとどまらせた記録もあるそうだ。

しかし、一般的には、彼らは改宗者を歓迎すると思って間違いない。その際、上記のようなユダヤ教に厳しい時代には、改宗を二段階に考えていた。ゲル・トシャーヴ(居留者)とかゲル・ハシャール(門前の改宗者)というのが第一段階で、お客様的改宗ユダヤ教徒だった。そして、ゲル・ツェディーク(義の改宗者)というのが第二段階で、完全な改宗ユダヤ教徒だった。

そのほか、これは大事なことだが、神殿時代を含め、改宗などの儀式を必要としなくても、一神教を信じ、ユダヤ教徒とともに正しい生活をする者は、神が良しとされ、ユダヤ教徒と等しく神に祝福されているという思想がある。じゃあ、男は割礼をしなければ云々というのは何だ、と言われるかもしれないな。そりゃー、改革派の解釈じゃねーの、とかね。また、割礼なんていらねーと言ったのはパウロが初めてで、それこそがキリスト教でなんて言われるかもしれないな。でも、わからんぞ。パウロは知ってたんだよ。いらねー、ことを。(大人がやると大変だけど、赤ん坊だって。ああ怖っ、うっ。)